醍醐寺歴史年表(創建~現在)理源大師・聖宝

醍醐寺見どころ

醍醐寺歴史

醍醐寺歴史を紹介しています。醍醐寺は874年(貞観16年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海の孫弟子である理源大師・聖宝が横尾明神の示現により、上醍醐(笠取山)山上で醍醐水の霊泉を得て小堂宇を建立し、准胝観音・如意輪観音を安置したのが起源です。
京都世界遺産・醍醐寺基本情報醍醐寺見どころ

【醍醐寺歴史 年表】
(歴史・創建)
醍醐寺(だいごじ)は平安時代前期の874年(貞観16年)に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)の孫弟子である理源大師(りげんだいし)・聖宝(しょうぼう)が横尾明神(よこおみょうじん)の示現により、上醍醐山上(笠取山(かさとりやま)山頂)で醍醐水の霊泉を得て小堂宇を建立し、准胝観音(じゅんていかんのん)・如意輪観音(にょいりんかんのん)を安置したのが起源です。理源大師・聖宝は笠取山山頂付近を醍醐山と名付けたとも言われています。なお醍醐寺は当初私寺で、顕密(けんみつ)兼学でした。
907年(延喜7年)に第60代・醍醐天皇(だいごてんのう)の勅願寺になり、手厚い庇護を受けて、下醍醐に金堂・五重塔・薬師堂が建立され、薬師堂に薬師三尊が造仏されました。そして913年(延喜13年)に定額寺(じょうがくじ)になりました。なお930年(延長8年)に醍醐天皇が崩御し、笠取山に御陵が築かれ、醍醐寺で法会が営まれました。
1118年(元永元年)に最初の桜会が行われました。

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(歴史・その後)
応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火などにより、下醍醐は荒廃し、五重塔だけが残されたと言われています。
1598年(慶長3年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が醍醐寺の塔頭(たっちゅう)・三宝院(さんぼういん)裏の山麓で醍醐の花見を催し、豊臣秀吉や秀吉没後は秀吉の正室・北政所(きたのまんどころ)の援助により、本堂が再建されたり、塔頭・三宝院の潅頂堂が建立されたりしました。また豊臣秀吉の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)が開山堂・如意輪堂・仁王門などを再建しました。

【醍醐寺 文化財】
●金堂は関白・豊臣秀吉の発願により、平安時代に建立されて鎌倉時代に改修された紀州・満願寺(まんがんじ)の本堂を移して再建されました。
●五重塔は936年(承平6年)に第61代・朱雀天皇(すざくてんのう)が着工し、951年(天暦5年)に建立されたとも言われています。しかし1585年(天正13年)の慶長伏見地震(けいちょうふしみじしん)によって損傷し、1598年(慶長3年)に豊臣秀吉の援助によって修理されました。
●薬師堂は1121年(保安2年)に再建されました。薬師堂は上醍醐で唯一平安時代の建物です。
●清滝宮拝殿は1434年(永享6年)に再建されたと言われています。
●清滝宮本殿は1517年(永正14年)に建立されたと言われています。
●開山堂は1606年(慶長11年)に豊臣秀頼が再建しました。
●如意輪堂は開山堂とともに1606年(慶長11年)に豊臣秀頼が再建しました。
●祖師堂は1605年(慶長10年)に座主・義演僧正(ぎえんそうじょう)が建立しました。
●成身院(じょうしんいん)は江戸時代初期に再建されたと言われています。
●西大門(仁王門)は1605年(慶長10年)に豊臣秀頼が再建したと言われています。

【醍醐寺 三宝院】
三宝院は醍醐寺の子院です。なお三宝院(さんぼういん)は1115年(永久3年)に醍醐寺14代座主・勝覚(しょうか)が創建した灌頂院(かんじょういん)が起源です。
三宝院

【醍醐寺歴史 備考】
*参考・・・京都世界遺産・醍醐寺(アクセス・歴史・見どころ・・・)ホームページ京都世界遺産・醍醐寺(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia

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