醍醐寺地蔵堂・醍醐寺見どころ(修学旅行)

醍醐寺地蔵堂

●醍醐寺地蔵堂は上醍醐に建立されています。地蔵堂にはかつて鎌倉時代に造仏された木造地蔵菩薩立像(重要文化財)が安置されていたが、現在は霊宝館に移されています。木造地蔵菩薩立像はよく見られる裸足でなく、靴を履いた珍しい像容をしています。
木造地蔵菩薩立像は田植え地蔵(田植地蔵)とも言われています。郷土誌によると昔、笠取(宇治市)に一人の少年がいました。母親を早くに亡くし、父親とともに農業に励んでいたが、その父親も病気で亡くなりました。一人残された少年はどのように田植えを行うとよいかと悩み、神仏に祈りました。ある朝、少年は一人で田植えをしようと田んぼに行くと既に田植えが終わっていました。辺りを見回しても誰もいなかったが、足元を見ると畔の草が泥で汚れていました。足跡は田植えしてくれた人のものと思い、その足跡を辿っていくと地蔵堂の前に着きました。お地蔵さんを眺めると足元が泥で汚れ、お地蔵さんが植えをして下さったのだとその慈悲に感謝し、ますます神仏への信仰を篤くし、畑仕事に励みました。そのことを聞いた村人はお地蔵さんを上醍醐に祀ったと言われています。ちなみに江戸時代後期の「都名所図会(みやこめいしょずえ)」には笠取(宇治市)辺りに田植え地蔵として信仰されたお地蔵さんがあったと記されています。なお田植え地蔵の伝承には諸説があります。また京都や日本各地にも田植え地蔵の伝承が残されています。
地蔵菩薩は菩薩の一尊です。地蔵菩薩はお釈迦様が没し、5億7,600万年後か、56億7,000万年後に弥勒菩薩が出世成道するまでの間、無仏の五濁悪世(ごじょくあくせ)で六道に苦しむ衆生を教化救済するとされています。日本では地蔵菩薩は「子供の守り神」とされ、小児の成長を見守り、夭折した小児の死後を救い取ると信じられています。親に先立って死亡した小児は親不孝の報いで苦を受け、親の供養の為に賽の河原で石の塔婆を作るが、鬼が塔婆を破壊し、何度も繰り返さなければならないが、最終的に地蔵菩薩が救済します。また地蔵菩薩は道祖神と習合した為、全国の街道・辻々に石像が数多く祀られています。
●醍醐寺地蔵堂は切妻造(きりづまづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
桟瓦葺は平瓦と丸瓦を一体化させた波型の桟瓦を使用して屋根を葺く方法です。ちなみに本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
醍醐寺見どころ

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