醍醐寺三宝院勅使之間・醍醐寺見どころ(修学旅行・観光)

醍醐寺三宝院勅使之間

●醍醐寺三宝院勅使之間・秋草の間・葵の間は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財に指定されました。
●醍醐寺三宝院勅使之間・秋草の間・葵の間は安土桃山時代の1598年(慶長3年)に建立されました。勅使之間には桃山時代に長谷川等伯(はせがわとうはく)一派が描いた竹林花鳥図の襖絵があります。秋草の間には秋の七草が点在する襖絵があります。葵の間には下鴨神社から上賀茂神社に向かう葵祭(あおいまつり)の行列が描かれた襖絵があります。
長谷川等伯は絵師・長谷川派の祖で、狩野永徳(かのうえいとく)・海北友松(かいほうゆうしょう)らと並ぶ安土桃山時代の絵師です。長谷川等伯は戦国時代(室町時代後期)の1539年(天文8年)に七尾城主・畠山氏の家臣である父・奥村文之丞宗道(おくむらぶんのじょうむねみち)の子として生まれ、養子になった養家・長谷川で絵を学んで仏画などを描きました。1571年(元亀2年)に京都に上洛し、わび茶(草庵の茶)の完成者・千利休(せんのりきゅう)などと親交を結び、関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)に引き立てられました。
秋の七草は女郎花(おみなえし)・尾花(おばな)・桔梗(ききょう)・撫子(なでしこ)・藤袴(ふじばかま)・葛(くず)・萩(はぎ)です。秋の七草は奈良時代初期に山上憶良(やまのうえのおくら)が詠んだ「万葉集」の2首「秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花」・「萩の花 尾花 葛花 瞿麦(なでしこ)の花 姫部志(をみなへし) また藤袴 朝貌の花」に由来しています。
葵祭は古墳時代後期の第29代・欽明天皇(540年~571年)の時代に全国が風水害に見舞われて飢餓・疫病が流行し、賀茂大神(かものおおかみ)の崇敬者・卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせられたところ賀茂大神(上賀茂神社・下鴨神社)の祟りであると奏した為、4月吉日を選んで、馬に鈴を懸け、人は猪頭(いのがしら)を被り、駆競(くち・かけくらべ)して盛大に祭りを行ったことが起源です。葵祭は平安時代前期の819年(弘仁10年)に律令制度の中で最も重要な恒例祭祀(中紀)に準じて行われる国家的行事になりました。
●醍醐寺三宝院勅使之間・秋草の間・葵の間は入母屋造(いりもやづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。車寄は唐破風造(からはふづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
桟瓦葺は平瓦と丸瓦を一体化させた波型の桟瓦を使用して屋根を葺く方法です。ちなみに本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
唐破風は弓形のように中央部を丸みをつけ、両端が反りかえった曲線状に造形した破風です。軒唐破風は屋根本体の軒先を丸みを帯びた造形した破風です。向唐破風は屋根本体とは別に出窓のように造形した破風です。なお破風は切妻造(きりづまづくり)・入母屋造(いりもやづくり)の屋根の妻の三角形の部分です。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
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