醍醐寺三宝院本堂・醍醐寺見どころ(修学旅行)

醍醐寺三宝院唐門

●醍醐寺三宝院本堂は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財に指定されました。
●醍醐寺三宝院本堂は安土桃山時代の1598年(慶長3年)に建立されました。本堂は仏師・快慶作の本尊・弥勒菩薩(みろくぼさつ)、そして脇仏(わきぼとけ)として向かって右側に真言宗の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)、左側に醍醐寺開山である理源大師(りげんだいし)を安置しています。本堂は本尊が弥勒菩薩であることから弥勒堂とも言われています。なお本堂の裏に護摩壇があり、護摩堂も言われています。
弥勒菩薩は菩提(悟り)を求める菩薩の一尊です。弥勒菩薩は兜率天(とそつてん)の内院に住み、現在仏である釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の次に悟りの最高の位である仏陀(ぶつだ)になることが約束され、釈迦(しゃか)入滅から56億7,000万年(5億7,600万年)後の未来に仏陀となってこの世に下り、衆生を救済すると言われる菩薩です。天界での修行中を弥勒菩薩、未来仏は弥勒如来(弥勒仏)とも称します。弥勒菩薩は飛鳥時代に日本に伝わり、平安時代に弥勒浄土信仰(上生信仰・下生信仰)が盛んになり、日本古来の山岳信仰と仏教が融合した修験道(しゅげんどう)にも取り入れられました。なお「観弥勒菩薩上生兜率天経(かんみろくぼさつじょうしょうとそつてんきょう)」・「弥勒下生経(みろくげしょうきょう)」・「弥勒大成仏経(みろくだいじょうぶつきょう)」は「弥勒三部経」と言われています。
快慶は生没年が不詳です。快慶は安阿弥陀仏(あんあみだぶつ)とも称され、運慶(うんけい)とともに鎌倉時代を代表する仏師の一人です。快慶は平安時代末期の1183年(寿永2)に運慶が発願した「法華経(ほけきょう)」の結縁者(けちえんしゃ)の一人として、初めてその名が見られます。また鎌倉時代初期の1189年(文治5年)に造仏したボストン美術館蔵(旧・興福寺)の弥勒菩薩(みろくぼさつ)立像が現存する最古の作品です。快慶は運慶の父である奈良仏師・康慶(こうけい)の弟子と言われています。1180年(治承4年)12月28日に平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討によって東大寺・興福寺などの伽藍が焼失すると運慶とともに復興造仏事業に携わり、1194年(建久5年)に東大寺中門の多聞天(たもんてん)像(現存せず)を制作し、1203年(建仁3年)に東大寺南大門の金剛力士(こんごうりきし)像を運慶らとともに制作しました。また東大寺大仏再興の大勧進・俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)と関係が深く、東大寺勧進所八幡殿の僧形八幡神(そうぎょうはちまんしん)坐像・東大寺俊乗堂の阿弥陀如来(あみだにょらい)立像・東大寺公慶堂の地蔵菩薩(じぞうぼさつ)像なども造仏しました。快慶は運慶が剛健な表現に対し、穏やかで流麗で、理知的・絵画的な安阿弥様(あんなみよう)なる様式を作り上げました。快慶は阿弥陀如来を本尊とする熱心な浄土教信仰者とも言われ、三尺前後の阿弥陀如来像の作例が多くなっています。、
一般的に本堂は本尊仏を安置する仏堂です。本堂は金堂・根本中堂(中堂)・仏殿などとも言われています。飛鳥時代から平安時代前半に創建された寺院では金堂と言われ、禅宗では仏殿と言われるとこが多いそうです。
●醍醐寺三宝院本堂は桁行五間・梁間三間で、入母屋造(いりもやづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。三宝院本堂は向拝(こうはい)一間です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
桟瓦葺は平瓦と丸瓦を一体化させた波型の桟瓦を使用して屋根を葺く方法です。ちなみに本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
醍醐寺見どころ

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