大覚寺五社明神・大覚寺見どころ

大覚寺五社明神

●大覚寺五社明神は平安時代前期に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が第52代・嵯峨天皇の離宮・嵯峨院の鎮守社として勧請したとも言われています。
離宮・嵯峨院は第52代・嵯峨天皇が嵯峨に造営した別荘です。嵯峨院は嵯峨山荘・嵯峨別館などとも言われました。第52代・嵯峨天皇は風流を好み、文人を召して詩賦(しふ)を催したと言われています。823年(弘仁14年)に第52代・嵯峨天皇が第53代・淳和天皇に譲位し、834年(承和元年)に嵯峨院内に新造御所を造営し、それまで譲位後の御所であった後院(ごいん)としていた離宮・冷泉院(れいぜいいん)から移り、842年(承和9年)に嵯峨院で崩御しました。
弘法大師・空海は奈良時代の774年(宝亀5年)に讃岐国多度郡屏風浦(香川県善通寺市)で父・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)と母・阿刀大足(あとのおおたり)の妹の間に生まれました。ただ正確な誕生日は明確ではありません。真言宗(しんごんしゅう)では空海が唐の高僧で、三蔵法師(さんぞうほうし)の一人である不空三蔵(不空金剛・ふくうこんごう)の生まれ変わりと考えられていることから誕生日は不空三蔵の入滅の日である6月15日とされています。789年(延暦8年)に15歳で母方の叔父・阿刀大足(あとのおおたり)のもとで論語・孝経・史伝などを学び、792年(延暦11年)に18歳で官僚育成機関である大学寮(だいがくりょう)に入って官吏としての学問を修めました。その後仏道を志して山林で修行し、三論宗(さんろんしゅう)の僧で、東大寺(とうだいじ)別当・勤操(ごんそう)のもとで南都仏教を学びました。804年(延暦23年)に遣唐使として唐(中国)に渡り、長安で青竜寺(せいりゅうじ)の恵果(えか)のもとで密教を学び、伝法阿闍梨位(でんぽうあじゃりい)の灌頂(かんじょう)を受け、遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えられました。806年(大同元年)に帰国し、真言密教を日本に伝えて真言宗の開祖になりました。816年(弘仁7年)から高野山で金剛峯寺(こんごうぶじ)創建に着手し、823年(弘仁14年)に東寺を賜って真言密教の道場にしました。なお弘法大師・空海は835年(承和2年)3月21日に高野山で亡くなりました。
●大覚寺五社明神は伊勢外宮(いせげくう)の祭神・豊受皇大神(とようけすめらおおかみ)、伊勢内宮(いせないくう)の祭神・天照皇大神(あまてらすすめらおおみかみ)、八幡宮(はちまんぐう)の祭神・応神天皇(おうじんてんのう)、春日宮(かすがぐう)の祭神・天津兒屋根命(あめのこやねのみこと)、そして住吉宮(すみよしぐう)の祭神・底筒男命(そこつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・神功皇后(じんぐうこうごう)を祀っています。大覚寺五社明神には本殿・舞殿・鳥居が建立されています。また気比大明神社・多賀大明神社・稲荷大神社・愛宕大権現社・清瀧大権現社・松尾大明神社も建立されています。
大覚寺見どころ

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