大覚寺歴史年表(創建~現在)嵯峨天皇

大覚寺見どころ

大覚寺歴史

大覚寺歴史を紹介しています。大覚寺はかつて平安時代初期に嵯峨天皇が造営した離宮・嵯峨院があった場所です。その後876年(貞観18年)に嵯峨天皇の皇女で、淳和天皇の皇后・正子内親王が淳和天皇の第2皇子・恒寂入道親王を開山として離宮を寺院に改めました。
大覚寺基本情報大覚寺見どころ

【大覚寺歴史 年表】
(歴史・創建前)
大覚寺(だいかくじ)・旧嵯峨御所大覚寺門跡(きゅうさがごしょだいかくじもんぜき)は平安時代初期に第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)が檀林皇后(だんりんこうごう・橘嘉智子(たちばなのかちこ))との成婚の新室である離宮・嵯峨院(さがいん)を造営した場所でした。嵯峨院の名称は唐(中国)の都・長安の北にある景勝地・嵯峨山に由来しているとも言われています。なお嵯峨院では真言宗(しんごんしゅう)の開祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が第52代・嵯峨天皇の勅願により、弘法大師・空海が自ら刻んだと言われている五大明王(ごだいみょうおう)を安置する堂を建立して修法を行っていました。

(歴史・創建)
842年(承和9年)に第52代・嵯峨天皇が亡くなり、876年(貞観18年)に第52代・嵯峨天皇の皇女で、第53代・淳和天皇(じゅんなてんのう)の皇后・正子内親王(まさこないしんのう)が第53代・淳和天皇の第2皇子・恒寂入道親王(ごうじゃくにゅうどうしんのう・恒貞親王)を開山として離宮を寺院に改めて門跡寺院になり、第56代・清和天皇(せいわてんのう)から寺号・大覚寺を賜ったと言われています。

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(歴史・その後)
1268年(文永5年)に後嵯峨上皇(第88代・後嵯峨天皇(ごさがてんのう))、1289年(正応2年)に第90代・亀山天皇(かめやまてんのう)、1307年(徳治2年)に第91代・後宇多天皇(ごうだてんのう)が入寺し、亀山法皇・後宇多法皇が院政を行ったことから嵯峨御所(さがごしょ)とも言われました。亀山法皇・後宇多法皇に繋がる系統は大覚寺統(だいかくじとう・南朝)と言われ、第89代・後深草天皇(ごふかくさてんのう)に繋がる持明院統(じみょういんとう・北朝)と交代で、天皇を輩出しました。なお後宇多法皇は伽藍の整備に尽力したことから中興の祖・大覚寺殿とも言われています。
1336年(建武3年)に南朝の第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が北朝の北朝初代・光明天皇(こうみょうてんのう)と室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)が対立し、足利軍に火を掛けられて焼失しました。
1392年(元中9年)に南北朝の和解が成立し、大覚寺で南朝の第99代・後亀山天皇(ごかめやまてんのう)から北朝の第100代・後小松天皇(ごこまつてんのう)に「三種の神器(さんしゅのじんぎ)」が引き渡されました。
その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火などによって焼失して荒廃しました。なお織田信長(おだのぶなが)や関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)から寺領を寄進され、江戸時代初期に朝廷から外護されて再建されました。

【大覚寺 建物】
●正寝殿(しょうしんでん)は桃山時代に建てられた御所・紫宸殿(ししんでん)を第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)から賜って移しました。
●宸殿(しんでん)は江戸時代前半に造営された第108代・後水尾天皇の中宮・東福門院(とうふくもんいん・徳川和子(とくがわまさこ))の女御御殿(にょうごごてん)の宸殿(しんでん)で、後の第109代・明正天皇(めいしょうてんのう)の仮御所を江戸時代後半に移したと言われています。
●御影堂は1925年(大正14年)に第123代・大正天皇(たいしょうてんのう)の即位式に使用された饗応殿(きょうおうでん)を後宇多法皇600回忌に移したものです。
●五大堂は天明年間(1781年~1788年)に再建されました。
●勅使門は嘉永年間(1848年~1853年)に再建されました。
●勅封心経殿(ちょくふうしんぎょうでん)は1925年(大正14年)に再建されました。
●心経宝塔(しんぎょうほうとう)は1967(昭和42年)に嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立されました。
●安井堂(やすいどう)は1871年(明治4年)に蓮華光院(れんげこういん・安井門跡)の御影堂を移したものです。
●霊明殿は1958年(昭和33年)に草繋全宜(くさなぎぜんぎ)が東京中野区・日仏寺(にちぶつじ)の本堂を移しました。
●明智陣屋は江戸時代に明智光秀(あけちみつひで)の居城だった亀山城(かめやまじょう)の一部を移したとも言われています。
●霊宝館(れいほうかん)は1968年(昭和43年)に勅封心経御写経1150年記念事業として建設されました。
●五社明神は弘法大師・空海が離宮・嵯峨院の鎮守社として勧請したと言われています。

【大覚寺 その他】
●大沢池は814年(弘仁5年)頃に第52代・嵯峨天皇が中国・洞庭湖(どうていこ)を模して築造したとも言われています。
●名古曽滝跡(なこそのたきあと)は京都市内に現存する最古の庭園の遺構と言われています。

【大覚寺 覚勝院】
覚勝院(かくしょういん)は正平年間(1346年~1369年)に摂政・関白の子息が出家し、法皇の法流を継承する院家の住坊として、建立されました。
覚勝院

【大覚寺歴史 備考】
*参考・・・京都・大覚寺(アクセス・歴史・見どころ・・・)ホームページ京都・大覚寺(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia

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