大覚寺御影堂・大覚寺見どころ(修学旅行)

大覚寺御影堂

●大覚寺御影堂は1925年(大正14年)に第123代・大正天皇の即位式に造営された饗応殿(きょうおうでん)を後宇多法皇600回忌に移して建立されました。大覚寺御影堂には第52代・嵯峨天皇、弘法大師・空海、後宇多法皇(第91代・後宇多天皇)、恒寂入道親王の像が安置されています。
第52代・嵯峨天皇は奈良時代後期の786年(延暦5年)10月3日に第50代・桓武天皇と皇后・藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)の第2皇子として生まれました。799年(延暦18年)2月に元服し、君主の器量を持っていたことなどから父・桓武天皇に愛されたと言われています。803年(延暦22年)に三品(さんぼん)中務卿(なかつかさきょう)になり、806年(延暦25年)に弾正尹(だんじょうのいん)になり、806年(延暦25年)に兄・安殿親王が第51代・平城天皇に即位すると皇太弟に立てられました。809年(大同4年)に兄で、第51代・平城天皇から譲位されて第52代・嵯峨天皇に即位し、甥で、第51代・平城天皇の第3皇子・高岳親王を皇太子にしました。しかし810年(弘仁元年)に平城上皇が復位を試みた薬子の変(くすこのへん)が起こり、皇太子・高岳親王が廃され、異母弟・大伴親王(第53代・淳和天皇)が皇太弟に立てられました。823年(弘仁14年)に大伴親王(第53代・淳和天皇)に譲位し、833年(天長10年)に大覚寺の前身である離宮・嵯峨院に御所を新造し、大沢池が造られました。第52代・嵯峨天皇は弘仁格式(こうにんきゃくしき)・新撰姓氏録(しょうじろく)などを編纂させ、葵祭(あおいまつり)に奉仕する賀茂斎院(かものさいいん)を設置し、蔵人所(くろうどどころ)・検非違使(けびいし)などを設けて律令制の補強しました。また第52代・嵯峨天皇は能筆で知られ、弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)と橘逸勢(たちばなのはやなり)とともに三筆に数えられました。なお第52代・嵯峨天皇は842年(承和9年)8月24日に崩御しました。
弘法大師・空海は奈良時代の774年(宝亀5年)に讃岐国多度郡屏風浦(香川県善通寺市)で父・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)と母・阿刀大足(あとのおおたり)の妹の間に生まれました。ただ誕生日は明確ではありません。真言宗(しんごんしゅう)では空海が唐の高僧で、三蔵法師(さんぞうほうし)の一人である不空三蔵(不空金剛・ふくうこんごう)の生まれ変わりと考えられていることから誕生日は不空三蔵の入滅の日である6月15日とされています。789年(延暦8年)に15歳で母方の叔父・阿刀大足(あとのおおたり)のもとで論語・孝経・史伝などを学び、792年(延暦11年)に18歳で官僚育成機関である大学寮(だいがくりょう)に入って官吏としての学問を修めました。その後仏道を志して山林で修行し、三論宗(さんろんしゅう)の僧で、東大寺(とうだいじ)別当・勤操(ごんそう)のもとで南都仏教を学びました。804年(延暦23年)に遣唐使として唐(中国)に渡り、長安で青竜寺(せいりゅうじ)の恵果(えか)のもとで密教を学び、伝法阿闍梨位(でんぽうあじゃりい)の灌頂(かんじょう)を受け、遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えられました。806年(大同元年)に帰国し、真言密教を日本に伝えて真言宗の開祖になりました。816年(弘仁7年)から高野山で金剛峯寺(こんごうぶじ)創建に着手し、823年(弘仁14年)に東寺を賜って真言密教の道場にしました。なお弘法大師・空海は835年(承和2年)3月21日に高野山で亡くなりました。
第91代・後宇多天皇は鎌倉時代の1267年(文永4年)12月17日に第90代・亀山天皇と左大臣・洞院実雄(とういんさねお)の娘・洞院佶子(とういんきつし)の第2皇子として生まれました。1268年(文永5年)に祖父・後嵯峨上皇(第88代・後嵯峨天皇)の意志によって8か月で立太子し、1274年(文永11年)に8歳で第90代・亀山天皇から譲位されて第91代・後宇多天皇になり、父・亀山上皇が院政を行いました。1275年(建治元年)に持明院統(じみょういんとう・北朝)の後深草上皇(第89代・後深草天皇)が大覚寺統(だいかくじとう・南朝)の天皇が続くことを不満を持ち、鎌倉幕府に働き掛けて後深草上皇の第2皇子・熈仁親王(第92代・伏見天皇)が皇太子になり、1286年(弘安9年)に第1皇子・邦治親王(第94代・後二条天皇)が親王宣下を受けたが、1287年(弘安10年)に21歳で皇太子・熈仁親王(第92代・伏見天皇)に譲位しました。鎌倉幕府は後持明院統と大覚寺統による両統迭立案を提案しました。1307年(徳治2年)に後深草上皇の皇女で、寵妃の遊義門院(れい子内親王)が亡くなると仁和寺(にんなじ)で落飾して金剛性と称し、大覚寺に入寺して御所とし、大覚寺門跡になりました。なお第91代・後宇多天皇は1324年(元亨4年)7月16日に崩御しました。
一般的に御影堂は寺院の開基(かいき)・開山(かいさん)や宗祖の像を安置した堂塔です。御影堂は奈良時代頃から開山の没後に敬慕の心を込めて建立されるようになりました。御影堂は祖師堂(そしどう)・開山堂などとも言われています。
大覚寺見どころ

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