大覚寺サルスベリ見ごろ2025(7月下旬~9月中旬頃)

大覚寺サルスベリ見ごろ(時期・アクセス・概要)

大覚寺サルスベリ見ごろ(時期・イベント・・・)情報を紹介しています。大覚寺では宸殿と心経前殿などを結ぶ村雨の廊下沿いにサルスベリが植えられ、紅紫色のサルスベリと村雨の廊下・緑色の苔・刈込などの光景が美しいと言われています。村雨の廊下はどこも絵になることからいろいろな場所から眺めたり、写真撮影したりするのがおすすめです。(詳細下記参照)

【大覚寺サルスベリ見ごろ(例年時期)】
大覚寺のサルスベリの見ごろは例年7月下旬頃から9月中旬頃です。ただサルスベリ見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。

【大覚寺サルスベリ見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区嵯峨大沢町4
最寄り駅・バス停・・・大覚寺(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から大覚寺は28系統(D3乗り場)
*四条烏丸から91系統
路線・時刻表・運賃チェック

*JR嵯峨野線の場合、最寄り駅は嵯峨嵐山駅(徒歩約15分)

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【大覚寺サルスベリ見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
大覚寺はサルスベリ(百日紅)の名所です。大覚寺のサルスベリ見ごろは例年7月下旬頃から9月中旬頃です。
大覚寺では宸殿(しんでん)と心経前殿(しんぎょうぜんでん)などを結ぶ村雨の廊下(むらさめのろうか)沿いにサルスベリ(百日紅)が植えられ、紅紫色のサルスベリと村雨の廊下・緑色の苔・刈込などの光景が美しいと言われています。村雨の廊下はどこも絵になることからいろいろな場所から眺めたり、写真撮影したりするのがおすすめです。額縁風に見立てるのもいいかもしれません。ちなみに村雨の廊下は鴬張り(うぐいすばり)で、その音も楽しみましょう。大覚寺では大沢池にハス(蓮)も分布し、例年7月上旬頃から8月上旬頃に見ごろを迎え、サルスベリと一緒に楽しめる時期もあります。
村雨の廊下は宸殿・御影堂などの諸堂を繋ぐ廊下です。柱を雨、直角に折れ曲がった廊下を稲光に例え、村雨の廊下と言われています。村雨の廊下は高貴な人が通る際の防犯の為、鴬張りで、刀や槍を振り上げられないように天井が低くなっています。
宸殿は1619年(元和5年)に第108代・後水尾天皇から徳川家康の孫で、中宮・東福門院(徳川和子)の女御御殿を賜って建立されました。宸殿は桁行約20.0メートル・梁間約13.6メートルで、妻飾り・破風板・天井などに装飾が施され、牡丹の間・柳松の間・紅梅の間・鶴の間に分かれています。絵師・狩野山楽が描いた「牡丹図」・「紅梅図」の障壁画があります。
心経前殿(御影堂)は1925年(大正14年)に第123代・大正天皇の即位式に造営された饗応殿を後宇多法皇(第91代・後宇多天皇)600回忌に移して建立されました。心経前殿は内陣正面を心経殿を拝する為に開き、大覚寺開基である嵯峨天皇像・後宇多法皇像・恒寂法親王像・弘法大師像を安置しています。
サルスベリ(百日紅)はミソハギ科の落葉中高木です。サルスベリは中国南部原産で、唐(中国)の時代に都である長安の紫微(宮廷)に多く植えられ、紫薇と言われました。日本では江戸時代以前に伝わっていたとも言われ、江戸時代中期に本草学者・貝原益軒(かいばらえきけん)作の「花譜(かふ)・1694年(元禄7年)」にその名前が初めて記されています。サルスベリは樹高5~10メートルで、樹皮が赤褐色で、滑らかで薄くはげ、跡が白く雲紋状になります。猿が滑り落ちるほど滑らかという例えからサルスベリと名付けらました。サルスベリは7~9月に枝先の円錐花序(えんすいかじょ)に径3~4センチの紅紫色の6弁の花を咲かせます。ちなみにサルスベリは花が約百日間も長く咲くことから「百日紅」と名付けられたとも言われています。なおサルスベリには花が白色のシロサルスベリ(白百日紅)、淡紫色のウスムラサキサルスベリ(薄紫百日紅)もあります。
●大覚寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
大覚寺歴史(嵯峨天皇・空海・正子内親王)
●大覚寺の見どころ(正寝殿・大沢池など)を紹介しています。
大覚寺見どころ(正寝殿・大沢池など)

【大覚寺 歴史・簡単概要】
大覚寺(だいかくじ)は平安時代初期に第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)が造営した離宮・嵯峨院があった場所です。嵯峨院では真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が嵯峨天皇の信任を得て、空海が自ら刻んだと言われている五大明王(ごだいみょうおう)を安置する堂を建立して修法を行いました。876年(貞観18年)に嵯峨天皇の皇女で、第53代・淳和天皇(じゅんなてんのう)の皇后・正子内親王(まさこないしんのう)が淳和天皇の第2皇子・恒寂入道親王(ごうじゃくにゅうどうしんのう・恒貞親王)を開山として離宮を寺院に改めて門跡寺院になり、第56代・清和天皇(せいわてんのう)から寺号・大覚寺を賜ったと言われています。鎌倉時代に後宇多法皇(第91代・後宇多天皇(ごうだてんのう))が伽藍を建立して再興し、中興の祖・大覚寺殿とも称され、また院政を行ったことから嵯峨御所(さがごしょ)とも言われるようになりました。後宇多法皇と父・亀山法皇(第90代・亀山天皇(かめやまてんのう))の皇統は後宇多法皇が大覚寺に住したことから大覚寺統(南朝)と称されるようになり、1392年(元中9年・明徳3年)の南北朝媾和では正寝殿で南朝の第99代・後亀山天皇(ごかめやまてんのう)から北朝の第100代・後小松天皇(ごこまつてんのう)に三種の神器が引き継がれました。
大覚寺は真言宗大覚寺派大本山の寺院です。
*参考・・・京都・大覚寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【大覚寺サルスベリ見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
大覚寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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