大覚寺正寝殿・大覚寺見どころ

大覚寺正寝殿

●大覚寺正寝殿は1912年(明治45年)2月8日に国の重要文化財に指定されました。
●大覚寺正寝殿は桃山時代(1573年~1614年)に建立されました。大覚寺正寝殿は南北に3列の部屋があり、東列に剣璽の間・御冠の間・紅葉の間・竹の間、中央列に雪の間・鷹の間、西列に山水の間・聖人の間が並び、その南と東に狭屋の間が配置されています。御冠の間の名称はかつて後宇多法皇(第91代・後宇多天皇)が院政を行い、執務の際に御冠を傍らに置いたことに由来しています。
第91代・後宇多天皇は鎌倉時代の1267年(文永4年)12月17日に第90代・亀山天皇と左大臣・洞院実雄(とういんさねお)の娘・洞院佶子(とういんきつし)の第2皇子として生まれました。1268年(文永5年)に祖父・後嵯峨上皇(第88代・後嵯峨天皇)の意志によって8か月で立太子し、1274年(文永11年)に8歳で第90代・亀山天皇から譲位されて第91代・後宇多天皇になり、父・亀山上皇が院政を行いました。1275年(建治元年)に持明院統(じみょういんとう・北朝)の後深草上皇(第89代・後深草天皇)が大覚寺統(だいかくじとう・南朝)の天皇が続くことを不満を持ち、鎌倉幕府に働き掛けて後深草上皇の第2皇子・熈仁親王(第92代・伏見天皇)が皇太子になり、1286年(弘安9年)に第1皇子・邦治親王(第94代・後二条天皇)が親王宣下を受けたが、1287年(弘安10年)に21歳で皇太子・熈仁親王(第92代・伏見天皇)に譲位しました。鎌倉幕府は後持明院統と大覚寺統による両統迭立案を提案しました。1301年(正安3年)に第1皇子・邦治親王が第94代・後二条天皇に即位すると院政を行いました。1307年(徳治2年)に後深草上皇の皇女で、寵妃の遊義門院(れい子内親王)が亡くなると仁和寺(にんなじ)で落飾して金剛性と称し、大覚寺に入寺して御所とし、大覚寺門跡になりました。1318年(文保2年)に第2皇子・尊治親王が第96代・後醍醐天皇に即位すると再び院政を開始しました。なお第91代・後宇多天皇は1324年(元亨4年)7月16日に崩御しました。
●大覚寺正寝殿では御冠の間で南北朝媾和会議が行われたとも言われ、南北朝講和の間とも言われています。
南北朝時代は第96代・後醍醐天皇が鎌倉幕府を打倒して始めた建武の新政(けんむのしんせい)が崩壊し、室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)が京都で持明院統(北朝)の北朝第2代・光明天皇を擁立し、京都を脱出した大覚寺統(南朝)の第96代・後醍醐天皇が吉野で政権を樹立したことで始まりました。その後足利尊氏が室町幕府を開き、南朝が徐々に衰微しました。1392年(元中9年・明徳3年)11月19日に吉野から京都に帰還した南朝第4代で、第99代・後亀山天皇が北朝第6代・後小松天皇に譲位し、三種の神器を渡して南北合体(なんぼくがったい)・南北朝合一(なんぼくちょうごういつ)が実行されました。南北朝時代は56年弱でした。
大覚寺見どころ

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