大仙院(拝観料・見どころ・アクセス・歴史概要・・・)

大仙院
大仙院(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。大仙院本堂は古岳宗亘(こがくそうこう)が自分の隠居所として建立し、床の間も玄関も日本最古と言われています。また方丈も東福寺・龍吟庵方丈に次いで古いと言われています。なお大仙院本堂は国宝に指定されています。
【大仙院 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市北区紫野大徳寺町54-1
最寄り駅・バス停・・・大徳寺前(徒歩約8分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から大仙院は101系統(B2乗り場)、205系統(B3乗り場)、206系統(A3乗り場)
*四条河原町からは12系統、205系統
*四条烏丸からは12系統
*河原町丸太町からは204系統、205系統
路線・時刻表・運賃チェック
【大仙院 拝観時間・時間(要確認)】
9:00~17:00(3/1~11/30)
9:00~16:30(12/1~2/末日)
年中無休
【大仙院 拝観料金・料金(要確認)】
大人400円、小中学生270円
【大仙院 歴史・簡単概要】
大仙院(だいせんいん)は戦国時代(1493年~1590年)の1509年(永正6年)に大徳寺(だいとくじ)76世である大聖国師・古岳宗亘禅師(こがくそうこうぜんじ)が創建したとも言われています。また1509年(永正6年)に六角政頼(ろっかくまさより)が子である大聖国師・古岳宗亘禅師を開山として創建したとも言われています。大仙院は大徳寺に22ケ寺ある塔頭の中で北派本庵として最も尊重・重視されました。大仙院創建以降、大聖国師・古岳宗亘禅師に続き、大林宗套(だいりんそうとう)・笑嶺宗訴(しょうれいそうきん)・春屋宗園(しゅんおくそうえん)・古渓宗陳(こけいそうちん)などの名僧を輩出しました。1513年(永正10年)に大聖国師・古岳宗亘禅師が自らの隠居所として本堂(方丈)を建立し、枯山水庭園(国の史跡・特別名勝)を作庭しました。本堂(方丈)は日本における方丈建築として、東福寺(とうふくじ)の塔頭・龍吟庵(りゅうぎんあん)の方丈に次いで古い方丈で、床の間は日本最古の床の間、玄関は日本最古の玄関と言われています。1544年(天文13年)に大聖国師・古岳宗亘禅師が大仙院後代法度を定めました。桃山時代(1583年~1603年)に茶の湯を大成した茶人・千利休(せんのりきゅう)が度々訪れ、大林宗套の下で得度したとも言われています。1591年(天正19年)に千利休が関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の逆鱗に触れて切腹を命じられ際、千利休の禅の師・古渓宗陳が切腹を中止させようとしたと言われています。1598年(慶長3年)頃に醍醐寺(だいごじ)の塔頭・三宝院(さんぼういん)の庭園が作庭された際、豊臣秀吉が大聖国師・古岳宗亘禅師作庭の庭園の庭石を没収しようとしたが、古渓宗陳が身を投じて防いだという逸話が残されています。江戸時代(1603年~1868年)前期の1614年(慶長19年)に沢庵漬けで知られる大徳寺153世・沢庵宗彭(たくあんそうほう)が書院「拾雲軒」を建立し、カ亭橋が築造したと言われています。書院「拾雲軒」では沢庵宗彭が剣豪・宮本武蔵(みやもとむさし)に剣道の極意を授けたと言われています。
大仙院は臨済宗大徳寺派大本山・大徳寺の塔頭です。
*参考・・・大仙院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ・大仙院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【大仙院 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
大仙院の見どころは本堂です。本堂の床の間も玄関も日本最古と言われています。なお枯山水庭園である大仙院書院庭園や大仙院庭園も見どころです。
国宝・・・本堂、大燈国師墨蹟
重要文化財・・・紙本淡彩四季耕作図、紙本著色花鳥図、紙本墨画瀟湘八景図 相阿弥筆、紙本墨画瀟湘八景図 伝相阿弥筆
【大仙院 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・+81-75-491-8346
【大仙院 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
大徳寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
大徳寺見どころ(方丈・山門など)
【大仙院 おすすめ散策ルート】
大仙院からのおすすめ散策ルートは「きぬかけの道」沿いにあり、いすれも世界遺産である金閣寺(鹿苑寺)・龍安寺・仁和寺に向かうルートです。1時間半ほど「きぬかけの道」を散策すれば、衣笠の自然を感じながら世界遺産3か所を回ることができ、京都観光・旅行を楽しむことができます。ただ大仙院から仁和寺までは結構距離がある為、途中からバスなどを使った方がいいかもしれません。