大徳寺経蔵・大徳寺見どころ

大徳寺経蔵

●大徳寺経蔵は1909年(明治42年)4月5日に国の重要文化財に指定されました。
●大徳寺経蔵は江戸時代前期の1636(寛永13年)に那波宗旦(なわそうたん)が再建しました。1981年(昭和56年)から解体修理され、地下から室町時代前期の礎石が見つかりました。大徳寺経蔵には「一切経(いっさいきょう)」などの経典を納める八角輪蔵(はっかくりんぞう)があります。
那波宗旦の那波家は播磨国那波村(兵庫県相生市那波)にルーツがあり、鎌倉時代末期から安土桃山時代に播磨を支配した赤松氏(あかまつし)一族の庶子家(しょしけ)・宇野氏(うのし)が那波と名乗るようになったとも言われています。那波宗旦は京都に出ました。那波家は江戸時代中期頃(17世紀中頃)、那波宗旦の子・那波常有(なわじょうゆう)とその子である那波素順・那波正斎の時代に「京一番の有徳者」と評され、大名・旗本を対象として金融業などを営んでいました。その後江戸に両替店を出店するとともに御用達商人としても活動しました。しかし那波素順・那波正斎は驕り(おごり)高ぶり、京都所司代・板倉重矩(いたくらしげのり)から咎めを受け、罰として宇治橋の架け替えを命ぜられたり、御用達商人として過失があったりし、その後衰微しました。
一般的に経蔵は寺院で「一切経」などの経典を納める蔵です。経蔵は経堂・経楼とも言われています。
八角輪蔵は中央の心柱を支えとする回転書架です。八角輪蔵はお釈迦様の転法輪(てんぼうりん)に由来し、中国南朝梁の傅大士(ふだいし)が起源とも言われています。傅大士は「一切経(大蔵経)」を閲覧する便を図って、転輪蔵を考案しました。なお傅大士は在俗仏教者で、双林寺を建てて住し、後世に経蔵などにその像が置かれ、俗に「笑い仏」とも言われました。
●大徳寺経蔵は桁行三間・梁間三間で、宝形造(ほうぎょうづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
宝形造は隅棟(すみむね)が屋根の中央に集まり、屋根の頂部に水平の棟を作らない屋根形式です。ちなみに宝形造は寄棟造(よせむねづくり)のように雨が四方に流れ落ちます。宝形造の名称は露盤(ろばん)・伏鉢(ふくばち)・宝珠(ほうじゅ))の総称を宝形と言うことに由来しています。なお宝形造は方形造とも言われています。屋根が六角形の場合に六注、八角形の場合に八注と言われています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
大徳寺見どころ

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