曇華院椿見ごろ2022(日光椿)

曇華院椿見ごろ(例年)・見どころ

曇華院椿見ごろ(イベント・・・)を紹介。曇華院には本堂北の中庭に日光椿(じっこうつばき)・月光椿(がっこうつばき)が植えられています。日光椿は中庭を区切る渡り廊下に沿って、高生垣(いけがき)のように植えられています。曇華院は通常非公開だが、特別公開されることがあります。(詳細下記参照)

【曇華院 椿見ごろ(例年)】
曇華院の椿見ごろは現在調査中です。なお椿の見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
京都椿名所・見ごろ

【曇華院椿見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市右京区嵯峨北堀町25
最寄り駅・バス停・・・下嵯峨(徒歩約3分)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から曇華院は72系統(C6乗り場)、73系統(C6乗り場)
京都バス・アクセスダイヤ

*JR嵯峨野線の場合、最寄り駅は嵯峨嵐山駅(徒歩約7分)
*嵐電(京福電鉄)嵐山線の場合、最寄り駅は鹿王院駅(徒歩約3分)

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【曇華院 椿見ごろ(例年)・見どころ解説】
曇華院は京都で知られている椿の名所です。曇華院の椿見ごろは現在調査中です。
曇華院には本堂北の中庭に日光椿(じっこうつばき)・月光椿(がっこうつばき)が植えられています。日光椿は中庭を区切る渡り廊下に沿って、高生垣(いけがき)のように植えられています。曇華院は通常非公開だが、京の冬の旅などのイベントで特別公開されることがあります。なお曇華院近くには20~30本のやぶ椿が植えられ、石畳の参道が椿ロードとも言われる鹿王院があります。
日光椿は小さな花弁(かべん)状の赤い雄しべが円形にまとまる唐子咲き(からこざき)です。日光椿は月光椿と対をなします。
月光椿は弁化した雄しべ(雄蕊(ゆうずい))が鮮明な白色で、紅色の花弁とのコントラストが清らかに現れます。月光椿は卜伴椿 (ぼくはんつばき) とも言われています。
椿は日本原産のツバキ科ツバキ属の常緑樹(照葉樹林)です。椿は北海道などを除く、日本各地に自生しています。椿は日本最古の正史「日本書紀」に第12代・景行天皇が熊襲(くまそ)の乱を鎮めた際、土蜘蛛(つちぐも)に対して海石榴(ツバキ)の椎を用いたと記されています。椿は安土桃山時代に関白・豊臣秀吉が茶の湯に好んで用いると茶道で茶花として重要な地位を占めるようになりました。椿は江戸時代以降に多くの園芸品種が作られ、500以上の園芸品種があると言われています。なお椿は邪悪を祓うとも言われ、正倉院には災いを祓う海石榴の卯杖(うづえ)が収められています。
京の冬の旅・非公開文化財特別公開は1967年(昭和42年)に始まり、冬の京都の魅力を発信しています。京の冬の旅ではテーマを決めて通常非公開の文化財が一般に特別公開されます。

【曇華院 歴史・簡単概要】
曇華院(どんけいん・どんげいん)は室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が第2代将軍・足利義詮(あしかがよしあきら)の夫人・紀良子(きのりょうし)の母・智泉聖通尼(ちせん しょうつう)を開基として、高倉宮跡(たかくらみやあと)に通玄寺(つうげんじ)を建立し、尼僧の禅道場にしたのが起源です。智泉聖通尼が曇華庵に隠退し、将軍家の息女が住持(じゅうじ)に就いたが、通玄寺・曇華庵は焼失したとも言われています。その後通玄寺・曇華庵は再建されて合寺し、寺号を曇華院に改めました。しかし江戸時代初期の1603年(慶長8年)に焼失し、第111代・後西天皇(ごさいてんのう)の皇女・大成聖安尼が中興し、江戸時代中期の1707年(宝永4年)に第113代・東山天皇(ひがしやまてんのう)から紫衣(しえ)が贈られ、大聖寺(だいしょうじ)・宝鏡寺(ほうきょうじ)と並ぶ特権を得ました。ただその後も度々焼失し、明治維新後に鹿王院(ろくおういん)の塔頭・瑞応院(ずいおういん)があった場所に移って再興されました。
曇華院は臨済宗系単立の寺院です。

【曇華院椿見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
曇華院(アクセス・見どころ・・・)情報

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