永観堂臥龍廊・永観堂見どころ(修学旅行)

永観堂臥龍廊

●永観堂臥龍廊は室町時代後期(戦国時代)の永正年間(1504年~1521年)に造られ、昭和に改修されたとも言われています。永観堂臥龍廊は山の斜面に沿って御影堂・阿弥陀堂・開山堂などを繋いでいます。ちなみに永観堂臥龍廊近くには三鈷の松・水琴窟(すいきんくつ)・位牌堂などがあります。永観堂臥龍廊は湾曲し、急勾配の階段状の廊下で、龍が体をうねらせているように見えることから名付けられ、永観堂七不思議に数えられています。
臥龍は龍が臥せた状態を表しています。臥龍廊以外にも臥龍桜・臥竜松・臥龍梅・臥龍淵・臥龍山などに使用されています。
御影堂は1912年(大正元年)に建立されました。御影堂は「仏説無量寿経(むりょうじゅきょう)」に説かれている阿弥陀四十八本願(しじゅうはちがん)に因んで、48本の丸柱が使われています。永観堂御影堂は内陣の須弥壇に浄土宗(じょうどしゅう)の宗祖・法然上人(ほうねんしょうにん)を祀っています。
法然上人は平安時代後期の1133年(長承2年)に美作国(岡山県)に生まれました。1141年(保延7年)に9歳で父が殺害され、母方の叔父で、僧侶・観覚(かんがく)のもとで剃髪し、1145年(天養2年)に15歳で延暦寺(えんりゃくじ)に登って源光(げんこう)に師事して天台(てんだい)を学びました。しかし1150年(久安6年)に教学などに疑問を感じ、西塔黒谷・叡空(えいくう)のもとで修業し、法然房源空(ほうねんぼうげんくう)と称しました。その後20年間に渡って修学し、「観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)」や「往生要集(おうじょうようしゅう)」により、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の名号を口に出して称える称名念仏(しょうみょうねんぶつ)に専修する悟りに達し、浄土宗を開きました。
阿弥陀堂は安土桃山時代の1597年(慶長2年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が大坂・四天王寺(してんのうじ)の曼荼羅堂(まんだらどう)として建立し、江戸時代初期の1607年(慶長12年)に豊臣秀吉の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)が移して建立したとも言われています。阿弥陀堂は移建当初極楽浄土を思わせる彩色が堂内外に施されていたそうです。阿弥陀堂にはみかえり阿弥陀と言われる本尊・木造阿弥陀如来立像(重要文化財)が安置されています。
阿弥陀如来は大乗仏教の如来のひとつで、西方の極楽浄土(ごくらくじょうど)の教主とされています。阿弥陀如来は生あるものを全てを救う如来とされています。阿弥陀如来は紀元100年頃に編纂された大乗仏教の経典「無量寿経(むりょうじゅきょう)」によると世自在王仏(せじざいおうぶつ)のもとで出家して修行していた時、法蔵比丘(ほうぞうびく)という菩薩(法蔵菩薩( ほうぞうぼさつ))であったが、48の誓願(四十八願 (しじゅうはちがん))を立てて修行して仏になり、仏国土である極楽浄土(ごくらくじょうど)を設立して現在もそこで説法しているとされています。
永観堂見どころ

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