永観堂鐘楼・永観堂見どころ(修学旅行)

永観堂鐘楼

●永観堂鐘楼は江戸時代中期の1707年(宝永4年)に建立されました。永観堂鐘楼には江戸時代中期の1743年(寛保3年)に鋳造された梵鐘を吊っています。
一般的に鐘楼は梵鐘を吊るす堂塔です。鐘楼は金堂(こんどう)・塔・講堂・経蔵・僧坊・食堂(じきどう)とともに七堂伽藍(しちどうがらん)と言われています。鐘楼は寺院で時刻や非常を告げる施設として設けられ、梵鐘の響きは功徳(くどく)になるとされました。鐘楼は古くは金堂の背後に経蔵と対し、一般に太鼓を置いた鼓楼(ころう)に対して伽藍の両翼を建立されました。鐘楼は古代中国の様式を模し、上下2層からなる楼造(たかどのづくり)の法隆寺(ほうりゅうじ)西院伽藍の鐘楼(平安時代)が唯一残された古式の鐘楼遺構と言われています。その後法隆寺東院の鐘楼(鎌倉時代)のように下層が裾(すそ)広がりの袴腰造(はかまごしつくり)や東大寺(とうだいじ)の鐘楼(鎌倉時代)のように四隅に柱を立て、四方を吹き放した吹放(ふきはなし)などの鐘楼が現れました。鐘楼は現在、高い土台の上に四本柱を立て、四方を吹抜きにしたものが一般的です。なお鐘楼は鐘撞堂・釣鐘堂などとも言われています。
梵鐘は鐘身の中央部「池の間(いけのま)」に刻まれた銘文によると安土桃山時代の1596年(文禄5年)・江戸時代中期の1708年(宝永5年)・江戸時代中期の1743年(寛保3年)に鋳造されたことが記されています。1596年(文禄5年)には第37世・杲空俊弌和尚が口径二尺五寸の梵鐘を鋳造し、鐘楼を建立して吊りました。1708年(宝永5年)には第49世・三空普及和尚が大型の梵鐘を望み、口径三尺の梵鐘が鋳造されました。1743年(寛保3年)には第54世・靈空是湛和尚が梵鐘の音を改善する為に鋳造しました。なお梵鐘の鋳造には多量の銅・錫や多額の費用が掛かることから新しく鋳造したのではなく、今までの梵鐘を鋳潰して鋳造されたとも言われています。
●永観堂鐘楼はは桁行一間・梁間一間で、切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
永観堂見どころ

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