永観堂庭園・永観堂見どころ(修学旅行)

永観堂庭園

●永観堂庭園は放生池(ほうじょうち)を中心に東山を借景にした池泉回遊式庭園です。放生池の中心の弁天島には弁天社が祀られ、錦雲橋が架けられています。ちなみに池泉回遊式庭園には極楽橋・寿橋・楓橋も架けられています。また与謝野晶子(よさのあきこ)の歌碑・やすらぎ観音が建立されたり、茶店が設けられたりしています。更に画仙堂(がせんどう)なども建立されています。
池泉回遊式庭園は大きな池を中心に築山や池の中に小島・橋・名石などを配し、池の周囲に設けられた園路を回遊して鑑賞します。池泉回遊式庭園では休憩所・展望所・茶亭・東屋なども設けられます。なお回遊式庭園は室町時代に禅宗寺院、江戸時代に大名によって多く作庭され、日本庭園の集大成とも位置付けられています。
放生池は捕らえた魚などを殺さずに放す放生会(ほうじょうえ)を行う為の池です。放生会はお釈迦様の前世である流水長者(るすいちょうじゃ)が池の水の涸渇により、死に掛けた魚を助け、説法して放生したところ魚は三十三天(さんじゅうさんてん・とう利天)に転生し、感謝・報恩したということが起源とも言われています。また放生会は仏教の教えである五戒(ごかい)のひとつで、生き物を殺してはならないという不殺生戒(ふせっしょうかい)に由来しているとも言われています。なお日本最初の放生会は飛鳥時代の677年(天武天皇6年)に行われたとも言われています。
弁天社は江戸時代後期の1866年(慶応2年)に尼僧で、歌人・大田垣蓮月(おおたがきれんげつ)の寄進によって放生池の弁天島に建立されました。弁天社には大田垣蓮月が書いた額が掛かっています。なお弁天社は一間社流造(いっけんしゃながれづくり) の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。
与謝野晶子の歌碑「秋を三人 椎の実なげし 鯉やいづこ 池の朝かぜ 手と手つめたき」が建立されています。与謝野晶子は1900年(明治33年)11月5日に師である与謝野鉄幹(よさのてっかん)・山川登美子(やまかわとみこ)とともに訪れ、翌1901年(明治34年)の春にも晶子・鉄幹が訪れたそうです。晶子・登美子はともに鉄幹を慕っていたそうです。
画仙堂は1914年(大正3年)に日本画家・鈴木松僊(すずきしょうせん)の発願によって建立されました。画仙堂には鈴木松僊が描いた「天龍図」や関口雄揮(せきぐちゆうき)が描いた障壁画「浄土変相図」があります。画仙堂は重層で、寄棟造(よせむねづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。
永観堂見どころ

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