浦嶋神社延年祭2025/3/17(日程時間・・・)
浦嶋神社延年祭
浦嶋神社延年祭(日程・時間・・・)を紹介しています。延年祭は例年3月17日に行われています。延年祭では朴の木を削り、花や蕾を作って飾り付け、長寿・五穀豊穣・豊漁・商売繁盛・所業繁栄・家内安全・延命・息災招福などを祈願します。延年祭ではくじで福棒と言われる縁起物が当たる為、参拝者が多くのくじを買い求めて賑わいます。(詳細下記参照)
【浦嶋神社延年祭2025 日程時間(要確認)】
浦嶋神社延年祭2025は2025年(令和7年)3月17日(月曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
【浦嶋神社延年祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府与謝郡伊根町字本庄浜141
最寄り駅・バス停・・・浦嶋神社前(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。
*京都丹後鉄道宮豊線天橋立駅から丹海バス
路線・時刻表・運賃チェック
【浦嶋神社延年祭 歴史・簡単概要】
浦嶋神社延年祭(えんねんさい)は福棒祭・棒祭・福祭とも言われています。延年祭では浦嶋子(うらしまこ・浦島太郎(うらしまたろう))にゆかりのある三野家一門が神事を執り行います。延年祭は例年3月17日に行われています。
延年祭では朴の木(ほおのき)を削り、花や蕾(つぼみ)を作って飾り付け、長寿・五穀豊穣(ごこくほうじょう)・豊漁・商売繁盛・所業繁栄・家内安全・延命・息災招福(そくさいしょうふく)などを祈願します。延年祭では最後に五穀豊穣などを願って、伊根町の無形民俗文化財に指定されている「翁三番叟(おきなさんばそう・河来見翁三番叟(かわくるみのおきなさんばそう))」が演じられます。延年祭ではくじで福棒と言われる縁起物が当たる為、参拝者が多くのくじを買い求めて賑わいます。福棒は願いが叶うとされています。
浦嶋神社にはかつてお抱えの猿楽師(さるがくし)がおり、雨乞いなどの神事・社殿の修築などの際に上演されたと言われています。観世流(かんぜりゅう)の流れを汲む「翁三番叟」は華やかな衣装をまとって舞われます。
観世流は大和(奈良)猿楽・結崎座(ゆうざきざ)を起源とし、観阿弥清次(かんあみきよつぐ)が流祖です。観世流の名称は流祖・観阿弥の幼名・観世丸に由来しています。なお観世流は江戸時代に四座一流の筆頭とされ、現在もシテ方の五流(観世流・金剛流(こんごうりゅう)・宝生流(ほうしょうりゅう)・金春流(こんぱるりゅう)・喜多流(きたりゅう))の最大流派です。
【浦嶋神社 歴史・簡単概要】
浦嶋神社(うらしまじんじゃ)・宇良神社(うらじんじゃ)は478年(雄略天皇22年)7月7日に浦嶋子(うらしまこ・浦島太郎)が美婦に誘われ常世(とこよ)の国へ行き、三百有余年後の平安時代前期の825年(天長2年)に帰ってきました。浦嶋子は常世の国に347年間住み、この話を聞いた第53代・淳和天皇(じゅんなてんのう)が浦嶋子を筒川大明神と名付け、官吏・文人で、遣隋使(けんずいし)として派遣された小野妹子(おののいもこ)の末裔・小野篁(おののたかむら)を勅使として派遣して社殿を建立したとも言われています。浦嶋神社は平安時代中期の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」に「宇良神社」と記されて式内社(しきないしゃ)に列せられ、平安時代中期には既に祀られていたとも言われています。南北朝時代の1339年(延元4年・暦応2年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)が参詣し、幣帛(へいはく)・神馬・神酒を奉納したと言われています。1884年(明治17年)に本殿・拝殿及び中殿が建立されました。
*参考・・・浦嶋神社(アクセス・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【浦嶋神社延年祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
浦嶋神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報