延暦寺阿弥陀堂・延暦寺見どころ

延暦寺阿弥陀堂

●延暦寺阿弥陀堂は1937年(昭和12年)に比叡山開創1,150年大法要を記念して建立されました。延暦寺阿弥陀堂は日野・法界寺の阿弥陀堂(国宝)を模して建立されたとも言われています。延暦寺阿弥陀堂は丈六の阿弥陀如来を本尊として安置しています。なお延暦寺阿弥陀堂では参拝者が施主となって日々回向が行われています。
一般的に阿弥陀堂は阿弥陀如来を本尊として安置する堂塔です。奈良時代に奈良・東大寺(とうだいじ)阿弥陀堂や法華寺(ほっけじ)浄土院が建立され、阿弥陀悔過(けか)などの法要が行われました。平安時代中期から貴族に浄土信仰の広まり、極楽浄土を現前させたい願望から多く建立されました。京都府宇治市の平等院(びょうどういん)鳳凰堂(国宝)・京都府木津川市の浄瑠璃寺(じょうるりじ)本堂(国宝)・岩手県平泉町の中尊寺(ちゅうそんじ)金色堂(国宝)などが知られています。
阿弥陀如来は大乗仏教の如来のひとつで、西方の極楽浄土(ごくらくじょうど)の教主とされています。阿弥陀如来は弥陀仏(阿弥陀佛)・無量光仏(むりょうこうぶつ)・無量寿仏(むりょうじゅぶつ)とも言われています。阿弥陀如来は生あるものを全てを救う如来とされています。阿弥陀如来は紀元100年頃に編纂された大乗仏教の経典「無量寿経(むりょうじゅきょう)」によると世自在王仏(せじざいおうぶつ)のもとで出家して修行していた時、法蔵比丘(ほうぞうびく)という菩薩(法蔵菩薩( ほうぞうぼさつ))であったが、48の誓願(四十八願 (しじゅうはちがん))を立てて修行して仏になり、仏国土である極楽浄土(ごくらくじょうど)を設立して現在もそこで説法しているとされています。
法界寺阿弥陀堂は鎌倉時代前期の1221年(承久3年)に後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇)が鎌倉幕府第2代執権・北条義時(ほうじょうよしとき)の討伐の為に兵を挙げた承久の乱(じょうきゅうのらん)で焼失し、嘉禄年間(1225年~1226年)から嘉禎年間(1235年~1237年)に再建されたと言われています。阿弥陀堂は桁行五間・梁間五間で、宝形造(ほうぎょうづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。一重裳階(もこし)付きです。なお法界寺は平安時代後期の1051年(永承6年)に文章博士・日野資業(ひのすけなり)が薬師如来像を造り、薬師堂を建立したのが起源です。法界寺は日野家の氏寺になり、薬師如来像の胎内には日野家に代々伝わる天台宗の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)自作の三寸の薬師像を納めたとも言われています。
●延暦寺阿弥陀堂は桁行五間・梁間五間で、宝形造(ほうぎょうづくり)の銅板葺(どうばんぶき)です。延暦寺阿弥陀堂は一重裳階(もこし)付きです。
宝形造は隅棟(すみむね)が屋根の中央に集まり、屋根の頂部に水平の棟を作らない屋根形式です。ちなみに宝形造は寄棟造(よせむねづくり)のように雨が四方に流れ落ちます。宝形造の名称は露盤(ろばん)・伏鉢(ふくばち)・宝珠(ほうじゅ))の総称を宝形と言うことに由来しています。なお宝形造は方形造とも言われています。屋根が六角形の場合に六注、八角形の場合に八注と言われています。
銅板葺は銅を薄くした銅板で屋根を葺く方法です。銅板葺は近世に本格的に始まり、神社・霊廟などに多く用いられています。銅板葺は瓦葺に比べると自重が軽くて耐震性があり、檜皮葺・こけら葺に比べると耐久性があるとい言われています。なお765年(天平宝字9年・天平神護元年)に奈良・西大寺(さいだいじ)で銅板葺が用いられたのが最古の記録とも言われています。
延暦寺見どころ

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