延暦寺大講堂・延暦寺見どころ

延暦寺大講堂

●延暦寺大講堂は1987年(昭和62年)6月3日に国の重要文化財に指定されました。
●延暦寺大講堂は元々江戸時代前期の1634年(寛永11年)に比叡山東麓に建立されていた坂本の日吉東照宮(ひよしとうしょうぐう)・讃仏堂(さんぶつどう・本地堂)だったが、1964年(昭和39年)に現在の場所に移されて建立されました。延暦寺大講堂は平安時代前期の828年(天長5年)に建立されたとも言われ、その後5回の焼失・再建を繰り返し、戦国時代(室町時代後期)の1571年(元亀2年)9月12日に織田信長(おだのぶなが)による比叡山焼き討ちによって焼失し、江戸時代前期の1642年(寛永19年)に再建されたが、1956年(昭和31年)の放火によって焼失しました。1642年(寛永19年)に再建された大講堂は重要文化財でした。
日吉東照宮は江戸時代前期の1623年(元和9年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)の側近で、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した天海(てんかい)が創建しました。ちなみに徳川家康は1616年(元和2年)6月1日に75歳(満73歳4ヶ月)で駿府城で亡くなりました。1634年(寛永11年)に現在の社殿が再建されました。1634年(寛永11年)の秋には日光東照宮の社殿の改築(寛永の大造替)も始まりました。明治維新後の神仏分離令により、創建時の延暦寺(えんりゃくじ)の末寺から延暦寺の守護神・日吉大社(ひよしたいしゃ)の末社になりました。日吉東照宮は徳川家康・日吉大神(ひよしおおかみ)・摩多羅神(またらじん)を祀っています。なお本殿・石の間・拝殿・唐門・透塀は国の重要文化財に指定されました。
一般的に講堂は僧侶が経典の講義や説教などをする堂塔です。講堂は通常、中国・唐時代の伽藍配置に倣って、金堂(本堂)の背後に建立されています。ちなみに講堂は禅宗寺院では法堂(はっとう)とも言われています。講堂は奈良時代に建立が始まり、鎌倉時代以後にはほとんど建立されなくなったが、禅宗寺院で仏殿の背後に法堂として建立されました。講堂は奈良時代に建立された唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂や平安時代に再建された法隆寺(ほうりゅうじ)の大講堂がよく知られています。講堂で講義する際には本尊を安置し、講師が本尊に向かい、礼盤(らいばん)に座って講義を行いました。なお講堂は多くの僧侶が参集することから金堂よりも大きく建立されるが、装飾性は少い堂塔です。
●延暦寺大講堂は桁行七間・梁間六間で、入母屋造の銅板葺です。延暦寺大講堂は本尊・大日如来や比叡山で修行した日蓮宗(法華宗)の宗祖・日蓮、曹洞宗の開祖・道元、臨済宗の開祖・栄西、天台寺門宗の宗祖・円珍、浄土宗の開祖・法然、浄土真宗の宗祖・親鸞、融通念仏宗の開祖・良忍、天台宗真盛派の祖・真盛、時宗の開祖・一遍の像が安置されています。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
延暦寺見どころ

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