延暦寺法華総持院東塔・延暦寺見どころ

延暦寺法華総持院東塔

●延暦寺法華総持院東塔は1980年(昭和55年)に阿弥陀堂横に再建されました。法華総持院東塔はかつて平安時代前期の862年(貞観4年)に第3代天台座主である慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)が建立しました。法華総持院東塔は天台宗の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)が全国6ヶ所に宝塔を建て、日本を護ることを計画したことに由来しています。なお法華総持院東塔は本尊・大日如来(だいにちにょらい)などの五智如来(ごちにょらい)を安置し、上層部に仏舎利(ぶっしゃり)と「法華経(ほけきょう)」が安置されています。
慈覚大師・円仁は平安時代初期の794年(延暦13年)に下野国(栃木県)に生まれました。808年(大同3年)15歳で唐(中国)から帰国した天台宗の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)に師事し、その後伝教大師・最澄最期の14年間に仕えました。814年(弘仁5年)に言試(国家試験)に合格し、翌815年(弘仁6年)に得度しました。816年(弘仁7年)に奈良・東大寺(とうだいじ)で具足戒(ぐそくかい)を受け、822年(弘仁13年)に伝教大師・最澄から一心三観の妙義を授けられ、その後伝教大師・最澄は亡くなりました。829年(天長6年)から横川に隠棲して苦修練行を続け、838年(承和5年)に最後の遣唐使として唐(中国)に渡りました。慈覚大師・円仁は入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・恵運・円珍・宗叡)の一人です。840年(承和7年)に中国五台山を巡礼して最高峰の標高3,058メートルの北台叶斗峰に登り、その後大興善寺(だいこうぜんじ)の元政から灌頂(かんじょう)を受け、青竜寺(せいりゅうじ)の義真からも灌頂を受けました。847年(承和14年)に仏典・金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)などを持って帰国し、848年(嘉祥元年)に比叡山に戻り、854年(斉衡元年)に第3代天台座主に就きました。なお慈覚大師・円仁は864年(貞観6年)2月24日に亡くなりました。
伝教大師・最澄は奈良時代の767年(神護景雲元年)8月18日に近江国滋賀郡(滋賀県大津市坂本)の豪族・三津首百枝(みつのおびとももえ)の子として生まれました。778年(宝亀9年)に12歳で近江国分寺で出家して行表(ぎょうひょう)の弟子になり、780年(宝亀11年)に得度して名前を「最澄」に改めました。785年(延暦4年)に奈良・東大寺で修行者が遵守すべき具足戒(ぐそくかい)を受け、788年(延暦7年)に比叡山に草庵を結び、根本中堂となる一乗止観院(いちじょうしかんいん)を創建しました。平安時代初期の797年(延暦16年)に第50代・桓武天皇の内供奉十禅師(ないぐぶじゅうぜんじ)になり、802年(延暦21年)に入唐求法(にっとうぐほう)の還学生(げんがくしょう)に選ばれ、804年(延暦23年)に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)らとともに入唐し、中国・天台山で道邃(どうずい)・行満(ぎょうまん)らに師事し、円・密・禅・戒の諸教を受け、805年(延暦24年)に帰国し、密教を伝える為に高雄山寺(たかおさんじ・神護寺(じんごじ))に灌頂壇(かんじょうだん)を設け、806年(大同元年)に天台宗の開創が許されました。819年(弘仁10年)に比叡山に菩薩(ぼさつ)が守るべき大乗戒壇(だいじょうかいだん)建立を奏上したが、南都六宗(三論宗・成実宗・法相宗・倶舎宗・華厳宗・律宗)の反対で許されず、822年(弘仁13年)6月26日に54歳で亡くなりました。死後7日目に大乗戒壇建立の勅許が下り、866年(貞観8年)に第56代・清和天皇から諡号(しごう)・伝教大師(でんぎょうだいし)が贈られました。
延暦寺見どころ

ページ上部へ戻る