延暦寺根本中堂・延暦寺見どころ

延暦寺根本中堂

●延暦寺根本中堂は1899年(明治32年)4月5日に国の重要文化財、1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定されました。
●延暦寺根本中堂は江戸時代前期の1642年(寛永19年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が再建しました。根本中堂は788年(延暦7年)に天台宗(てんだいしゅう)の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)が一乗止観院(いちじょうしかんいん)を創建した際に建立されたとも言われるが、その後度々災害に見舞われ、再建の度に規模が大きくなったとも言われています。しかし戦国時代(室町時代後期)の1571年(元亀2年)9月12日に織田信長(おだのぶなが)による比叡山焼き討ちによって焼失しました。織田信長の一代記「信長公記(しんちょうこうき)・江戸時代初期成立」には「九月十二日、叡山を取詰め、根本中堂、山王二十一社を初め奉り、零仏、零社、僧坊、経巻一宇も残さず、一時に雲霞のごとく焼き払い、灰燼の地と為社哀れなれ、山下の男女老若、右往、左往に廃忘を致し、・・・」などと記されています。
伝教大師・最澄は奈良時代の767年(神護景雲元年)8月18日に近江国滋賀郡(滋賀県大津市坂本)の豪族・三津首百枝(みつのおびとももえ)の子として生まれました。778年(宝亀9年)に12歳で近江国分寺で出家して行表(ぎょうひょう)の弟子になり、780年(宝亀11年)に得度して名前を「最澄」に改めました。785年(延暦4年)に奈良・東大寺で修行者が遵守すべき具足戒(ぐそくかい)を受け、788年(延暦7年)に比叡山に草庵を結び、根本中堂となる一乗止観院(いちじょうしかんいん)を創建しました。平安時代初期の797年(延暦16年)に第50代・桓武天皇の内供奉十禅師(ないぐぶじゅうぜんじ)になり、802年(延暦21年)に入唐求法(にっとうぐほう)の還学生(げんがくしょう)に選ばれ、804年(延暦23年)に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)らとともに入唐し、中国・天台山で道邃(どうずい)・行満(ぎょうまん)らに師事し、円・密・禅・戒の諸教を受け、805年(延暦24年)に帰国し、密教を伝える為に高雄山寺(たかおさんじ・神護寺(じんごじ))に灌頂壇(かんじょうだん)を設け、806年(大同元年)に天台宗の開創が許されました。819年(弘仁10年)に比叡山に菩薩(ぼさつ)が守るべき大乗戒壇(だいじょうかいだん)建立を奏上したが、南都六宗(三論宗・成実宗・法相宗・倶舎宗・華厳宗・律宗)の反対で許されず、822年(弘仁13年)6月26日に54歳で亡くなりました。死後7日目に大乗戒壇建立の勅許が下り、866年(貞観8年)に第56代・清和天皇から諡号(しごう)・伝教大師(でんぎょうだいし)が贈られました。
徳川家光は江戸時代初期の1604年(慶長9年)8月12日に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)と浅井長政(あざいながまさ)の娘・江(ごう・崇源院(すうげんいん))の次男として江戸城西の丸に生まれました。徳川家光の幼名は江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)と同じ竹千代、乳母は春日局(かすがのつぼね)です。徳川家光は病弱で、吃音(きつおん)があり、1606年(慶長11年)に徳川秀忠と江に寵愛される弟・徳川忠長(とくがわただなが)が生まれると世継ぎ争いが起こり、元和年間(1615年~1624年)に春日局による徳川家康への直訴によって徳川家光が世継ぎに決着しました。1620年(元和6年)に元服し、名前を徳川家光に改め、従三位権大納言に任命されました。1623年(元和9年)7月27日に徳川秀忠とともに上洛して伏見城で将軍宣下を受け、江戸幕府3代将軍になり、正二位内大臣に任命されました。徳川家光は武家諸法度(ぶけしょはっと)・参勤交代制(さんきんこうたいせい)などの諸制度を整備したり、キリシタン禁制や貿易統制の為に鎖国を行ったりし、江戸幕府の基礎を確立しました。なお徳川家光は多くの神社仏閣に寄進したり、再建などに尽力したりしています。
一般的に根本中堂(中堂)は本尊仏を安置する仏堂です。根本中堂は金堂・本堂・仏殿などとも言われています。飛鳥時代から平安時代前半に創建された寺院では金堂と言われ、禅宗では仏殿と言われるとこが多いそうです。
●延暦寺根本中堂は幅約37メートル(桁行十一間)・奥行約23メートル(梁間六間)・高さ約24メートルで、入母屋造の銅板葺です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
延暦寺見どころ

ページ上部へ戻る