延暦寺常行堂・法華堂・延暦寺見どころ(修学旅行)

延暦寺常行堂・法華堂

●延暦寺常行堂・法華堂は1955年(昭和30年)6月22日に国の重要文化財に指定されました。
●延暦寺常行堂・法華堂は安土桃山時代の1595年(文禄4年)に建立されました。延暦寺法華堂は平安時代前期の825年(天長2年)、常行堂は893年(寛平5年)に建立され、その後焼失・再建を繰り返し、戦国時代(室町時代後期)の1571年(元亀2年)9月12日に織田信長(おだのぶなが)による比叡山焼き討ちによって焼失しました。
比叡山焼き討ちは1571年(元亀2年)9月30日(旧暦9月12日)に起こりました。前年の1570年(元亀元年)4月、浅井長政(あざいながまさ)は織田信長に反旗を翻して朝倉義景(あさくらよしかげ)と連合し、浅井氏・朝倉氏は6月の姉川の戦い(あねがわのたたかい)で一時敗退したが、9月に織田信長の弟・織田信治(おだのぶはる)が戦死し、浅井氏・朝倉氏の一部が比叡山延暦寺を拠点として織田信長に抵抗しました。また11月に本願寺(ほんがんじ)の顕如(けんにょ)による長島一向一揆(ながしまいっこういっき)で織田信長の弟・織田信興(おだのぶおき)が自害しました。織田信長は信長包囲網(浅井氏・朝倉氏・本願寺・三好三人衆・雑賀衆など)で包囲される中、比叡山延暦寺に攻撃を掛け、根本中堂(こんぽんちゅうどう)などの堂塔伽藍(がらん)を焼き払い、数千名の僧俗男女を皆殺しにしました。
●延暦寺常行堂・法華堂は同じ形(桁行五間・梁間五間)で、その間に渡り廊下があり、天秤棒(てんぶんぼう)に似ているところから「担い堂・にない堂」とも言われています。常行堂・法華堂は源義経(みなもとよしつね)の従者・弁慶武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)が渡り廊下に肩を入れて担ったとも言われています。
常行堂は四種三昧(ししゅざんまい)の内、常行三昧(じょうぎょうざんまい)を修す阿弥陀如来(あみだにょらい)を本尊として安置しています。法華堂は法華三昧を修す普賢菩薩(ふげんぼさつ)を本尊として安置しています。なお四種三昧は仏教の論書「摩訶止観(まかしかん)」に基づく修行で、常坐三昧(じょうざざんまい)・常行三昧・半行半坐三昧(はんぎょうはんざざんまい)・非行非坐三昧(ひぎょうひざざんまい)の四種です。
常行三昧は90日間を1期とし、常行堂内に安置された阿弥陀如来の周りを常に歩行(行道(ぎようどう))し、その仏名を唱えて心に仏を念ずる行法です。常行三昧は中国天台宗の開祖・智顗(ちぎ)が始めたとも言われ、日本では平安時代に浄土信仰が高まり、それにつれて重視されるようになりました。常行三昧は仏立三昧(ぶつりゅうざんまい)・般舟三昧(はんじゅざんまい)とも言われています。
法華三昧は21日間に渡り、法華堂内に安置された普賢菩薩の周りを歩く行道(ぎようどう)と座禅(ざぜん)を行って仏の智慧を得ようとする行法です。また「法華経」を通して真理に悟入する方法です。
延暦寺見どころ

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