延暦寺四季講堂・延暦寺見どころ

延暦寺四季講堂

●延暦寺四季講堂は2016年(平成28年)7月25日に国の重要文化財に指定されました。
●延暦寺四季講堂は江戸時代前期の1652年(承応元年)に建立されました。延暦寺四季講堂は元々第18代天台座主で、元三大師(がんざんだいし)とも言われる慈恵大師(じえだいし)・良源(りょうげん)の住居跡と言われています。延暦寺四季講堂では平安時代中期の967年(康保4年)に第62代・村上天皇の勅命により、四季に「法華経(ほけきょう)」が論議されたことから四季講堂と言われるようになりました。なお四季講堂は慈恵大師・良源が現代のおみくじの形を考えたことからおみくじ発祥の地とも言われています。
慈恵大師・良源(元三大師)は平安時代中期の912年(延喜12年)に近江国浅井郡虎姫(滋賀県長浜市)の豪族・木津(こづ)氏の子として生まれました。923年(延長元年)に比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)西塔の理仙(りせん)の弟子になり、928年(延長6年)に第13代天台座主・尊意(そんい)から受戒しました。937年(承平7年)の維摩会(ゆいまえ)で法相宗(ほっそうしゅう)の義昭(ぎしょう)を論破し、太政大臣・藤原忠平(ふじわらのただひら)に認められました。藤原忠平没後はその子で、第62代・村上天皇の外戚である右大臣・藤原師輔(ふじわらのもろすけ)の後援を受け、935年(承平5年)の火災・966年(康保3年)の火災で焼失した堂塔を再建しました。また藤原氏などから荘園を寄進され、経済的基盤の確立にも努めました。963年(応和3年)に御所・清涼殿(せいりょうでん)で興福寺(こうふくじ)の法蔵(ほうぞう)を屈服させて名声を上げ、966年(康保3年)に第18代天台座主になりました。また963年(応和3年)に律師(りっし)、968年(安和元年)に権少僧都(ごんのしょうそうず)、981年(天元4年)に大僧正(そうじょう)にもなりました。慈恵大師・良源は比叡山延暦寺の伽藍の復興・天台教学の興隆・山内の規律の維持などに尽力したことから延暦寺中興の祖とも言われています。また母親への孝行も有名で、出家後に比叡山に登れない母親の為に苗鹿(大津市)に山荘を作って尽くしました。ちなみに慈恵大師・良源を象った護符(角大師・豆大師など)があり、厄除け大師としても信仰されています。なお慈恵大師・良源は985年(永観3年)1月26日に亡くなりました。
●延暦寺四季講堂は桁行五間・梁間四間で、入母屋造(いりもやづくり)の瓦棒銅板葺(かわらぼうどうばんぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
銅板葺は銅を薄くした銅板で屋根を葺く方法です。銅板葺は近世に本格的に始まり、神社・霊廟などに多く用いられています。銅板葺は瓦葺に比べると自重が軽くて耐震性があり、檜皮葺・こけら葺に比べると耐久性があるとい言われています。なお765年(天平宝字9年・天平神護元年)に奈良・西大寺(さいだいじ)で銅板葺が用いられたのが最古の記録とも言われています。
延暦寺見どころ

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