延暦寺前唐院・延暦寺見どころ

延暦寺前唐院

●延暦寺前唐院は大講堂の北に建立されています。前唐院はかつて第3代天台座主である慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)の禅房だったとも言われています。延暦寺前唐院は慈覚大師・円仁の真影を安置しています。なお延暦寺前唐院は天台寺門宗(寺門派)の宗祖である智証大師(ちしょうだいし)・円珍(えんちん)が西谷に唐院を建立したことから前唐院と言われるようになりました。
慈覚大師・円仁は平安時代初期の794年(延暦13年)に下野国(栃木県)に生まれました。808年(大同3年)15歳で唐(中国)から帰国した天台宗の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)に師事し、その後伝教大師・最澄最期の14年間に仕えました。814年(弘仁5年)に言試(国家試験)に合格し、翌815年(弘仁6年)に得度しました。816年(弘仁7年)に奈良・東大寺(とうだいじ)で具足戒(ぐそくかい)を受け、822年(弘仁13年)に伝教大師・最澄から一心三観の妙義を授けられ、その後伝教大師・最澄は亡くなりました。829年(天長6年)から横川に隠棲して苦修練行を続け、838年(承和5年)に最後の遣唐使として唐(中国)に渡りました。慈覚大師・円仁は入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・恵運・円珍・宗叡)の一人です。840年(承和7年)に中国五台山を巡礼して最高峰の標高3,058メートルの北台叶斗峰に登り、その後大興善寺(だいこうぜんじ)の元政から灌頂(かんじょう)を受け、青竜寺(せいりゅうじ)の義真からも灌頂を受けました。847年(承和14年)に仏典・金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)などを持って帰国し、848年(嘉祥元年)に比叡山に戻り、854年(斉衡元年)に第3代天台座主に就きました。なお慈覚大師・円仁は864年(貞観6年)2月24日に亡くなりました。
智証大師・円珍は平安時代前期の814年(弘仁5年)に讃岐国(香川県)金倉郷に生まれました。真言宗の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)の甥とも、姪の息子とも言われています。15歳で比叡山(ひえいざん)・延暦寺(えんりゃくじ)に登り、天台宗の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)の通訳として唐(中国)に渡った義真(ぎしん)に師事し、12年間の籠山行(ろうざんぎょう)に入りました。845年(承和12年)に修験道の開祖とされている役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづぬ)の後を慕って大峯山(おおみねさん)・葛城山(かつらぎさん)・熊野三山を巡礼し、修験道の発展に寄与しました。846年(承和13年)に延暦寺の学頭になりました。853年(仁寿3年)に唐(中国)に渡り、天台山国清寺(こくせいじ)の物外(もつがい)から天台止観(しかん)を聴講し、その後青竜寺(せいりゅうじ)の法全(はっせん)から真言密教を学びました。智証大師・円珍は入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・恵運・円仁・宗叡)の一人です。858年(天安2年)に帰国し、香川・金倉寺(こんぞうじ)に住して寺を整備しました。その後延暦寺の山王院に住し、868年(貞観10年)に第5代座主になりました。三井寺(みいでら・園城寺(おんじょうじ))を賜って伝法灌頂(でんぽうかんじょう)の道場としたが、その後延暦寺を山門派が占拠したことから三井寺が寺門派の拠点になりました。なお智証大師・円珍は891年(寛平3年)12月4日は亡くなりました。
延暦寺見どころ

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