恵心院ヤマブキ見ごろ2024(4月中旬~5月上旬頃)
恵心院ヤマブキ見ごろ(見頃)
恵心院ヤマブキ見ごろ(時期・イベント等)を紹介しています。恵心院では参道にヤマブキが植えられ、ヤマブキと参道・山門などの光景が美しいと言われています。恵心院には八重咲きのヤエヤマブキ・白色のシロバナヤマブキも分布しています。参道にはツツジも植えられ、ヤマブキと一緒に楽しめる場合があります。(詳細下記参照)
【恵心院ヤマブキ見ごろ(例年時期)】
恵心院のヤマブキ見ごろは例年4月中旬頃から5月上旬頃です。なおヤマブキの見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
【恵心院ヤマブキ見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・京都府宇治市宇治山田67
最寄り駅・バス停・・・京阪宇治駅(徒歩約10分)、JR宇治駅(徒歩約20分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からはJR奈良線
*祇園四条駅からは京阪電鉄本線・宇治線
路線・時刻表・運賃チェック
【恵心院ヤマブキ見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
恵心院はヤマブキ(山吹)の名所です。恵心院のヤマブキ見ごろは例年4月中旬頃から5月上旬頃です。
恵心院では上り坂の参道にヤマブキが植えられ、ヤマブキと参道・山門などの光景が美しいと言われています。恵心院には八重咲きのヤエヤマブキ・白色のシロバナヤマブキも分布しています。山門を額縁に見立ててヤマブキを眺めるのもいいかもしれません。奥には宇治市のシンボルである宇治川が流れています。ちなみに恵心院が建立されている宇治市では1981年(昭和56年)3月1日に市の宝木を茶の木、市の木をモミジ、そして市の花をヤマブキに制定しました。参道にはツツジ(躑躅)も植えられ、ヤマブキと一緒に楽しめる場合があります。なお恵心院は花の寺とも言われています。
ヤマブキ(山吹)はバラ科ヤマブキ属の落葉低木です。ヤマブキの名称は古くに山振(やまぶり)と書かれ、それが転訛したものと言われています。山振は細く柔らかい枝が風に振られて吹かれて揺れる姿に因んでいると言われています。ヤマブキは北海道南部・本州・四国・九州や朝鮮半島・中国の山野に分布しています。ヤマブキは地下茎を横に伸ばして繁殖し、大群落を形成することがあります。ヤマブキは背丈1~2メートルで、細く柔らかい立ち上がった茎は先端がやや傾きます。ヤマブキは若い枝が鮮やかな緑色で、ややジグザグに伸び、その後木質化して褐色になり、3~4年で枯れます。ヤマブキは葉が互生し、長さ3~8センチの倒卵形で、先端が尖り、縁に鋸歯(きょし)があり、葉柄があります。ヤマブキは径30~50ミリの鮮やかな黄色の5弁花を咲かせます。ヤマブキは花が八重咲きのものをヤエヤマブキ(八重山吹)、キクのようは花を咲かすものをキクザキヤマブキ(菊咲山吹)、黄色を帯びた白色の花を咲かせるものをシロバナヤマブキ(白花山吹)などと言います。なおヤマブキは山吹色の語源になっています。
宇治市は京都府南部に位置し、京都府内で京都市に次いで2番目に人口が多い市町村です。宇治市は京都盆地中部で、宇治川が京都盆地に流出する谷口に位置しています。宇治市は古代に菟道(うじ)と言われ、平安時代に貴族の別荘地になり、鎌倉時代以降に宇治茶の栽培が盛んに行われ、玉露・碾茶(抹茶)などの高級茶の生産地になりました。
【恵心院 歴史・簡単概要】
恵心院(えしんいん)は平安時代初期に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が創建し、唐(中国)の青龍寺(りゅうせいじ)に似ていたことから龍泉寺(りゅうせんじ)と名付けられたとも言われています。その後寺伝によると平安時代中期の1005年(寛弘2年)に天台宗(てんだいしゅう)の僧で、「往生要集(おうじょうようしゅう)」を記した恵心僧都(えしんそうず)・源信(げんしん)が説法道場として再興し、その名前に因んで恵心院と称したと言われています。藤原氏の庇護を受けたとも言われるが、中世に兵火によって衰退したとも言われています。江戸時代中期の1676年(延宝4年)に萬福寺(まんぷくじ)の伽藍を中国風の黄檗(おうばく)様式で建立した大工棟梁・秋篠兵庫(あきしのひょうご)が本堂を建立し、その後度々改修されたとも言われています。恵心院は本尊・十一面観音(じゅういちめんかんのん)立像(宇治市指定文化財)を安置しています。
恵心院は真言宗智山派の寺院です。
*参考・・・恵心院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)
【恵心院ヤマブキ見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
恵心院(アクセス・見どころ・・・)情報