藤森神社秋季大祭並火焚祭2025年11月5日(日程時間・・・)

藤森神社秋季大祭並火焚祭
藤森神社秋季大祭並火焚祭(日程・時間・・・)を紹介しています。秋季大祭並火焚祭は例年11月5日に行われています。秋季大祭並火焚祭では家内安全・無病息災を祈願します。秋季大祭では舞殿で舞楽が奉納されます。火焚祭では本殿前に設けられた護摩壇で、氏子などの願い事が書かれた護摩木を本殿から移された御神火で焚き上げ、祈願成就を願います。(詳細下記参照)
【藤森神社秋季大祭並火焚祭2025 日程時間(要確認)】
藤森神社秋季大祭並火焚祭2025は2025年(令和7年)11月5日(水曜日)10:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・藤森神社ホームページ
【藤森神社秋季大祭並火焚祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市伏見区深草鳥居崎町609
最寄り駅・バス停・・・藤森駅(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から藤森神社はJR奈良線
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は墨染駅(徒歩約4分)、藤森駅(徒歩約5分)
【藤森神社秋季大祭並火焚祭 歴史・簡単概要】
藤森神社秋季大祭並火焚祭(しゅうきたいさいならびひたきさい)は平安時代の延暦年間(782年~806年)には既に行われていたとも言われています。秋季大祭並火焚祭では家内安全・無病息災を祈願します。
秋季大祭では先ず本殿内で祝詞奏上などの神事が行われます。その後舞殿で舞楽が奉納されます。
火焚祭では本殿前に設けられた護摩壇で、氏子などの願い事が書かれた護摩木を本殿から移された御神火で焚き上げ、祈願成就を願います。
火焚祭は宮中で古くから行われている新嘗祭(にいなめさい)が起源とも言われています。新嘗祭では11月23日に天皇が五穀の新穀を全ての神々である天神地祇(てんじんちぎ)に供え、自らも食して収穫に感謝しました。新嘗祭は宮中三殿の近くの神嘉殿で行われていたそうです。新嘗祭は室町時代に民間にも広まり、竃(かまど)の神の祭り・火の神の祭りへと転化していたそうです。
舞楽は雅楽の一種です。舞楽は唐楽(とうがく)・高麗楽(こまがく)を伴奏とする舞踊です。なお唐楽を伴奏とする舞楽は左舞(さまい)・高麗楽を伴奏とする舞楽は右舞(うまい)と言われます。なお雅楽は日本古来の音楽・舞に中国など大陸から伝わった音楽・舞が融合し、10世紀頃に完成したと言われています。雅楽は神楽・久米舞など日本固有の国風の歌舞(くにぶりのうたまい)・中国系の唐楽・朝鮮系の高麗楽などに分類されます。
【藤森神社 歴史・簡単概要】
藤森神社(ふじのもりじんじゃ)は起源が明確ではありません。藤森神社は社伝によると203年(神功皇后摂政3年)に第14代・仲哀天皇の皇后だった神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓征伐(さんかんせいばつ)から凱旋した際、山城国深草の里の藤森に纛旗(とうき)を立て、兵具を納めて塚を造ったのが起源とも言われています。794年(延暦13年)に第50代・桓武天皇から弓兵政所(ゆずえまんどころ)の称が授けられ、遷都奉幣(ほうへい)の儀式が行われたとも言われています。その後816年(弘仁7年)に伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)の社殿が標高約233メートルの稲荷山(いなりやま)から山麓の現在の場所に建立されたことから現在の場所に移ったとも言われています。藤森神社は中央(中座)に素盞鳴命・別雷命・日本武尊・応神天皇・仁徳天皇・神功皇后・武内宿禰を祀っています。東殿(東座)は奈良時代の759年(天平宝字3年)に崇道尽敬皇帝(舎人親王)を祀る神社として藤尾の地に創建されたが、1438年(永享10年)に合祀されました。西殿(西座)は平安時代の800年(延暦19年)に早良親王を祀る神社として塚本の地に創建されたが、1470年(文明2年)に合祀されました。
*参考・・・藤森神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【藤森神社秋季大祭並火焚祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
藤森神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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