嵐山と藤原定家(ふじわらのていか)

嵐山と藤原定家(ふじわらのていか)

嵐山は古くから紅葉名所とされ、モミジなどが風に舞い散らされる様子から嵐山と名付けられたと言われています。「小倉百人一首」の撰者である藤原定家は「吹きさらふ もみぢの上の 霧はれて 嶺たしかなる あらし山かな」と詠みました。

【嵐山紅葉見ごろ(例年時期)・2024年予測】
嵐山の紅葉見ごろは例年11月中旬頃から11月下旬頃です。ただ紅葉の時期や見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2024年(令和6年)の紅葉見ごろ情報は2024年(令和6年)9月上旬頃から順次情報発信します。
嵐山紅葉見ごろ

【嵐山 歴史・簡単概要】
嵐山は一級河川・桂川(大堰川)に架けられて渡月橋の西、京都市西京区にある標高約382メートルの山です。嵐山は国の史跡・国の名勝に指定されています。また嵐山は「日本さくら名所100選」・「日本の紅葉の名所100選」にも選ばれています。嵐山は平安時代に貴族の別荘地で、古くから歌枕として多くの和歌などに詠まれる景勝地でした。なお嵐山と言う場合、山そのものではなく、桂川(大堰川)両岸の嵐山・嵯峨野を含めたエリアを指し、京都随一の観光地になっています。

【嵐山と藤原定家(ふじわらのていか)】
嵐山は古くから紅葉名所とされ、モミジなどが風に舞い散らされる様子から嵐山と名付けられたと言われています。「小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)」の撰者で、平安時代末期から鎌倉時代初期の公家・歌人である藤原定家(ふじわらのていか・ふじわらのさだいえ)は「吹きさらふ もみぢの上の 霧はれて 嶺たしかなる あらし山かな」、「のこる色も あらしの山の 神無月 ゐせきの浪に おろすくれなゐ」と詠みました。藤原定家は鎌倉時代前期の1235年(嘉禎元年)に宇都宮頼綱(うつのみやよりつな)から嵯峨野(嵐山)に建てた小倉山荘の障子色紙に歌人の和歌を1首ずつ揮毫して欲しいと要望され、第38代・天智天皇(てんじてんのう)から第84代・順德天皇(じゅんとくてんのう)までの100人の歌人から和歌を1首ずつ選んで、宇都宮頼綱に書き送りました。藤原定家は小倉山荘(時雨亭)で編纂したことから「小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)」と言われるようになりました。小倉山荘(時雨亭)は桂川(かつらがわ・大堰川(おおいがわ))を挟み、嵐山とともに紅葉名所とされた標高約296メートルの小倉山山麓にあり、藤原定家が紅葉狩りを楽しんだとも言われています。小倉山荘(時雨亭)はいずれも現在紅葉名所とされている常寂光寺(じょうじゃっこうじ)・二尊院(にそんいん)一帯あった言われています。なお「小倉百人一首」には藤原定家作の「来ぬ人を まつほの浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」も収められています。

【藤原定家 嵐山】
藤原定家は1162年(応保2年)に藤原俊成と藤原親忠の娘・美福門院加賀の間に次男として生れました。1166年(仁安元年)に従五位下に叙され、1175年(安元元年)に父が右京大夫を辞任すると侍従になったが、1176年(安元2年)に父が出家すると後ろ盾を失いました。1179年(治承3年)に上賀茂神社で行われた歌合に初めて参加し、藤原公時と組んで引き分けになりました。1182年(寿永元年)に「堀河院題百首」を作ると藤原隆信らの歌人から賞賛を受け、右大臣・九条兼実から賛辞の手紙を受け取りました。この頃に父の和歌の弟子・藤原季能の娘と結婚しました。1185年(文治元年)の新嘗祭で暴力事件を起こし、勅勘で除籍処分になったが、翌1186年(文治2年)に赦され、摂政・九条兼実を当主とする九条家に出仕するようになり、九条兼実の庇護で順調に昇進しました。この頃に歌人として目覚ましい活躍をし、九条家の家人同様に重宝されました。1196年(建久7年)に鎌倉幕府に反対する内大臣・源通親による建久七年の政変が起こると九条兼実が関白を罷免され、連座して処分を受けたとも言われています。1201年(建仁元年)に勅撰和歌集の編纂を行うことになり、1204年(元久元年)に「新古今和歌集」を上申しました。1210年(承元4年)に嫡男・藤原為家が左近衛権少将に任じられ、左近衛権中将を辞退するが、同年に内蔵頭に任じられ、1214年(建保2年)に参議に任じられました。1232年(寛喜4年)に71歳で権中納言に任ぜられたが、その後権中納言を罷免され、1233年(天福元年)に出家しました。1232年(寛喜4年)に後嵯峨天皇から「新勅撰和歌集」の編纂を命じられ、単独で撰出を始め、1235年(文暦2年)に完成させました。1235年(嘉禎元年)に宇都宮頼綱から嵯峨野の小倉山荘の障子色紙に和歌を1首ずつ揮毫して欲しいと要望され、100人の歌人から和歌を1首ずつ選び、「小倉百人一首」になりました。なお藤原定家は1241年(仁治2年)9月26日に亡くなりました。

【嵐山と藤原定家(ふじわらのていか)】
*京都には多くの紅葉名所があり、その紅葉見ごろを下記リンクから確認できます。
京都紅葉見ごろ2024

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