福勝寺節分会-2025年の節分は2月2日(日程時間・・・)
福勝寺節分会
福勝寺節分会(日程・時間・・・)を紹介しています。節分会は例年節分(立春の前日)に行われています。節分会では節分に宝珠尊融通御守を授与しています。福勝寺は普段閑静だが、節分に大変賑わいます。宝珠尊融通御守は歓喜天(聖天)を大寒から7日間・21座に渡って祈祷したひょうたん(瓢箪)・お扇子のお守です。(詳細下記参照)
【福勝寺節分会2024 日程時間(要確認)】
福勝寺節分会2024は2024年(令和6年)2月3日(土曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・福勝寺ホームページ
●京都の寺院・神社では節分・豆まきなどの行事が行われています。
京都節分・豆まき2025
【福勝寺節分会 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区出水通千本西入七番町323-1
最寄り駅・バス停・・・千本出水(徒歩約2分)
*京都駅から福勝寺は206系統 (A3乗り場)
*四条河原町からは10系統、46系統、201系統
*四条烏丸からは46系統、55系統、201系統
*河原町丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック
【福勝寺節分会 歴史・簡単概要】
福勝寺節分会(せつぶんえ)は例年節分(立春の前日)に行われています。
節分会では節分に宝珠尊融通御守(ほうじゅそんゆうずうおんまもり)を授与しています。福勝寺は普段閑静だが、節分に宝珠尊融通御守を例年千人以上が求め、大変賑わいます。宝珠尊融通御守は歓喜天(かんきてん・聖天(せいてん))を大寒から7日間・21座に渡って祈祷したひょうたん(瓢箪)・お扇子のお守です。祈祷は真言宗の宗祖である弘法大師・空海が日本に伝えた如意宝珠の修法に由来しています。ちなみに宝珠尊融通御守は宝珠を2つ重ね合わせると瓢の形になることから「ひょうたんのお守」として親しまれています。なお宝珠尊融通御守は効果が節から1年間で、お扇子は扇を開くと効果が失われてしまいます。
- 節分は元々季節が変わる節目で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を差していたが、江戸時代以降は立春の前日だけを指す場合が多くなりました。節分には邪気悪霊(鬼)が外から入ってくるのを防ぐ為、「鬼は外・福は内」と言いながら福豆を撒き、年の数だけ福豆を食べて厄除けをします。豆撒きは平安時代中期に鞍馬山の鬼が都を荒らしたことから毘沙門天のお告げにより、鬼の穴を祈祷で封じ、鬼の目を炒り豆で打ちつぶしたということに由来しています。豆などの穀物には魔除けの呪力や生命力を持つという穀霊が宿っているとも言われています。豆は鬼の目を表す「魔目(まめ)」から鬼を滅する「魔滅」を意味するようになったそうです。
- 歓喜天(聖天)は気性が非常に荒く、事業の障害を起こす強い力を持っているが、悪魔・怨霊を取り除き、現世利益に功徳があると言われています。歓喜天(聖天)は家内安全・無病息災・闘病平癒・学業成就・商売繁盛・金運上昇などのご利益があり、「融通さん」とも愛称され、篤く信仰されています。なお歓喜天(聖天)は関白・豊臣秀吉が篤く信仰し、出陣の度に武運長久を祈願し、瓢箪を奉納しました。
【福勝寺 歴史・簡単概要】
福勝寺(ふくしょうじ)・瓢箪寺は真言宗(しんごんしゅう)の開祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が河内国古市郡中村(大阪府羽曳野市)に創建したのが起源と言われています。その後荒廃し、鎌倉時代中期の正嘉年間(1257年~1259年)に覚済僧正(かくさいそうじょう)が油小路五条坊門に再興しました。戦国時代(室町時代後期)の天文年間(1533年~1555年)以前に室町一条に移り、江戸時代前期の1614年(慶長19年~1637年(寛永4年)までは春日京極の東(寺町通丸太町下る東側)に建立されていたが、江戸時代中期の1709年(宝永5年)に現在の場所に移ったと言われています。福勝寺は京都十二薬師に数えられ、「峰の薬師」とも言われる薬師如来(やくしにょらい)を本尊として祀っています。なお福勝寺は第107代・後陽成天皇(ごようぜいてんのう)と第111代・後西天皇(ごさいてんのう)の勅願寺(ちょくがんじ)になり、第111代・後西天皇から「観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)」の名号と紫宸殿(ししんでん)の左近の桜を分栽され、桜寺と言われるようになりました。
福勝寺は真言宗善通寺派の寺院です。
*参考・・・福勝寺(アクセス・歴史・・・)ホームページ
【福勝寺節分祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
福勝寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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