穴太寺福給会2025年1月3日(日程時間・・・)
穴太寺福給会
穴太寺福給会(日程・時間・・・)を紹介しています。福給会は例年1月3日に行われています。福給会では本堂前に組まれた櫓から福札3,000枚が参拝者に撒かれ、扇で扇がれます。赤札3枚を拾うと1年間の幸福を授かり、禍を免れ、また長者になれるとも言われています。なお赤札3枚には景品も準備されているそうです。(要確認)(詳細下記参照)
【穴太寺福給会2025 日程時間(要確認)】
穴太寺福給会2025は2025年(令和7年)1月3日(金曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・西国三十三所ホームページ
★京都での初詣ランキングを紹介しています。(下記リンク参照)
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【穴太寺福給会 アクセス・マップ】
場所・・・京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46
最寄り駅・バス停・・・穴太口(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京阪京都交通バス・穴太寺循環(59・34系統)または京都学園大学行(60系統)
【穴太寺福給会 歴史・簡単概要】
穴太寺福給会(ふくたばえ)は江戸時代に始まり、300年以上続いているとも言われています。なお福給会は例年1月3日に行われています。
福給会では先ず本堂で法要が行われ、護摩木が焚かれます。法要終了後、本堂前に組まれた櫓から福札3,000枚が参拝者に撒かれ、扇で扇がれます。福札には赤札3枚と番号が書かれた福札(当たりくじ)があります。ちなみに福札には「穴太寺 牛玉宝印(ごおうほういん)」と書かれています。赤札3枚を拾うと1年間の幸福を授かり、禍を免れ、また長者になれるとも言われています。なお赤札3枚と番号が書かれた福札には景品も準備されているそうです。(要確認)
牛玉宝印(ごおうほういん・牛王宝)は寺院・神社から発行する牛頭天王(ごずてんのう)の護符(ごふ)です。牛玉宝印は和紙に文字が独特の字配り・書体で書かれ、仏の種字(しゆじ)・宝珠などをあらわす朱印が押されたりします。牛玉宝印は初春に行われる修正会(しゆしようえ)・修二会(しゆにえ)などで配布されます。牛玉宝印には降魔・除災の守りなどにご利益があるとも言われています。なお牛頭天王は日本における神仏習合の神で、お釈迦様の生誕地に因む祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神とされています。
【穴太寺 歴史・簡単概要】
穴太寺(あなおじ)は起源が明確ではありません。穴太寺は「穴太寺観音縁起・1450年(宝徳2年)成立」によると飛鳥時代後期の705年(慶雲2年)に左大弁・大伴古麻呂(おおとものこまろ)が第42代・文武天皇の勅願によって創建したとも言われています。穴太寺は説話集「今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)・平安時代末期成立」に聖観音像が「身代わり観音」として取り上げられ、穴太寺が平安時代末期に観音霊場として知られていたとも言われています。「今昔物語集」では丹波国桑田郡の郡司が都の仏師に聖観音像の造仏を依頼し、褒美に名馬を与えたが、その後名馬を惜しくなって家来に命じて仏師を矢で射たが、仏師は無事で、聖観音像の胸に矢が刺さっていました。ちなみに本尊・聖観音立像は平安時代中期に造仏されとも、鎌倉時代に造仏されとも言われているが、1968年(昭和43年)に盗難の被害に遭いました。その後1735年(享保20年)に本堂、1804年(文化元年)に多宝塔、江戸時代中期に仁王門が建立されました。また江戸時代中期に庭園が作庭されました。穴太寺は本尊・薬師如来を安置し、聖観音像が西国三十三所の第21番札所です。なお穴太寺は「穴穂寺」・「穴生寺」とも表記され、「あなおおじ」・「あのうじ」・「あなおうじ」とも読まれます。
穴太寺は天台宗の寺院です。
*参考・・・穴太寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【穴太寺福給会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
穴太寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報