伏見稲荷大社権殿・伏見稲荷大社見どころ

●伏見稲荷大社権殿は2014年(明治26年)1月27日に国の重要文化財に指定されました。
●伏見稲荷大社権殿は関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が建立し、江戸時代前期の1635年(寛永12年)に改築されたとも言われています。権殿は若宮とも言われています。
●伏見稲荷大社権殿は右側から八幡神(やはたのかみ・はちまんしん)と同一とされる第15代・応神天皇を祀る八幡宮社(はちまんぐうしゃ)、大山咋神(おおやまくいのかみ)を祀る日吉社(ひよししゃ)、若王子大神(にゃくおうじのおおかみ)を祀る若王子社(にゃくおうじしゃ)、須佐之男命(すさのおのみこと)を祀る猛尾社( たけしのやしろ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)を祀る蛭子社(えびすしゃ)から構成されています。
権殿は一般的に神社の社殿を造営・修理する際、祭神を一時的に奉安する仮殿(かりどの)です。
若宮は一般的に主祭神の御子神(みこがみ)を祀る社殿です。若宮は一般的に本宮の摂社・末社になっています。
豊臣秀吉は1537年(天文6年)3月17日(旧暦2月6日)に織田信長(おだのぶなが)の足軽(百姓)・木下弥右衛門(きのしたやえもん)と美濃の鍛冶・関兼貞の娘・なか(仲・天瑞院(てんずいいん))との間に生まれました。1554年(天文23年)頃から織田信長に仕え、1561年(永禄4年)に浅野長勝(あさのながかつ)の養女・北政所(ねね)と恋愛結婚しました。その後戦功を重ねて頭角を現し、1582年(天正10年)に明智光秀(あけちみつひで)が織田信長に謀反を起こした本能寺の変(ほんのうじのへん)後、山崎の戦い(やまざきのたたかい)で明智光秀を破り、四国・九州・関東・奥羽を平定し、1590年(天正18年)に天下を統一を成し遂げ、1598年(慶長3年)9月18日(旧暦8月18日)に62歳で伏見城内で亡くなりました。なお豊臣秀吉は1585年(天正13年)に関白、翌1586年(天正14年)に豊臣姓を賜って、太政大臣になりました。
●伏見稲荷大社権殿はは本殿よりも一回り小さい檜皮葺の五間社流造です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
伏見稲荷大社見どころ

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