伏見稲荷大社本殿・伏見稲荷大社見どころ

●伏見稲荷大社本殿は1909年(明治42年)4月5日に国の重要文化財に指定されました。
●伏見稲荷大社本殿は応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって焼失したが、1494年(明応3年)に再建されました。本殿前の内拝殿は1961年(昭和36年)に建立されました。
伏見稲荷大社社殿はかつて標高約233メートルの神体山(しんたいさん)である稲荷山山中に建立されていました。清少納言(せいしょうなごん)の随筆「枕草子(まくらのそうし)・平安時代中期」では稲荷山山中を登っている様子が伺えます。その後藤森神社(ふじのもりじんじゃ)の伝承によると1438年(永享10年)に室町幕府6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)が第102代・後花園天皇の勅命により、稲荷山山麓に移したと言われています。その際に稲荷山山麓に祀られていた藤尾社が藤森に移され、藤森神社本殿の東殿として祀られました。藤森神社の藤森祭では伏見稲荷大社の表参道に祀られている藤尾社に渡御して神事が行われています。ただ長禄年間(1457年~1460年)の社殿指図には山上に大明神(上社)、山中に中御前(中社)、山下に西御前(下社=四大神・中御前・大タラチメ・大明神・田中)と示されています。応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))が始まると伏見稲荷大社には東軍・細川勝元(ほそかわかつもと)側の軍勢が陣を置き、1468年(応仁2年)3月に西軍・山名宗全(やまなそうぜん)側の軍勢による攻撃によって社殿は焼失しました。同年12月に仮殿が設けられ、祠官家に伝来する「明応遷宮記」によるとその後本願所(愛染寺)が置かれ、沙門円阿弥によって諸国勧進が行われ、1494年(明応3年)に本殿が再建されました。
一般的に本殿は祭神(神霊・神体)を祀る建物です。本殿は神殿(しんでん)とも言われ、古くは正殿(せいでん・しょうでん)・宝殿(ほうでん)とも言われていました。なお本殿が内陣と外陣に分かれている場合、内陣に祭神が祀られ、外陣は献饌(けんせん)・奉幣(ほうべい・ほうへい)の場として使われます。
●伏見稲荷大社本殿は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)・大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)・佐田彦大神(さたひこのおおかみ)・田中大神(たなかのおおかみ)・四大神(しのおおかみ)を祀る五間社流造(ながれづくり)です。伏見稲荷大社本殿は檜皮葺(ひわだぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
伏見稲荷大社見どころ

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