伏見稲荷大社神楽殿・伏見稲荷大社見どころ

伏見稲荷大社神楽殿

●伏見稲荷大社神楽殿は1882年(明治15年)に能のシテ方の流派・金剛流(こんごうりゅう)宗家によって寄進されました。伏見稲荷大社神楽殿は正面鏡板に松の絵が描かれています。なお伏見稲荷大社神楽殿は能楽殿として造営されたとも言われています。
金剛流は鎌倉時代に奈良・法隆寺(ほうりゅうじ)に仕えた猿楽座(さるがくざ)・坂戸座(さかとざ)が起源とも言われています。室町時代初期の坂戸孫太郎氏勝(さかとまごたろううじかつ)を流祖とし、金剛流6世・善岳正明(ぜんがくまさあき)以降に金剛と称するようになりました。室町時代初期に円満井座(えんまいざ)・坂戸座(さかとざ)・外山座(とびざ)・結崎座(ゆうざきざ)とともに奈良・興福寺(こうふくじ)に勤仕する大和猿楽四座(やまとさるがくしざ)に数えられました。中興の祖で、金剛流8世・金剛氏正(こんごううじまさ)は鼻金剛と言われる名手で、関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)に仕えました。江戸時代以降に徳川家に仕え、江戸時代初期に喜多流(きたりゅう)が分派しました。1936年(昭和11年)に金剛流23世・金剛右京(こんごううきょう)が亡くなると坂戸金剛家は断絶したが、翌1937年(昭和12年)に他の四流(観世流・宝生流・金春流・喜多流)の家元の推薦により、弟子家である野村金剛家(京都金剛家)の金剛巌(こんごういわお)が金剛流24世になりました。金剛流はシテ方五流の中で唯一京都在住で、金剛能楽堂を所有しています。なお金剛流は京都風の華麗な芸風から舞金剛、面などの名品を多く所蔵することから面金剛とも言われています。
一般的に神楽殿は神楽を奉納する社殿です。神楽殿は神楽堂・楽殿などとも言われています。
神楽は神社の祭礼などの神事の際、神に奉納する歌舞です。神楽は天照大神(あまてらすおおかみ)が天の岩戸(あまのいわと)に隠れた際、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舞ったのが起源とも言われています。神楽には宮中で行われる御神楽(みかぐら)と神社など民間で行われる里神楽(さとかぐら)に大きく分けられます。
能は奈良時代に大陸から伝わった曲技(きょくぎ)・物真似(ものまね)・軽業(かるわざ)など中心とした散楽(さんがく)が起源とも言われています。平安時代に猿楽(さるがく)と言われ、鎌倉時代に猿楽の能と言われるようになり、能の古い形式である翁(おきな)を上演する座が結成されました。南北朝時代に大和猿楽・近江猿楽が大きな存在になり、奈良・興福寺に属した円満井座・坂戸座・外山座・結崎座の大和猿楽四座が金春流(こんぱるりゅう)・金剛流(こんごう)・宝生流(ほうしょう)・観世流(かんぜ)の基になりました。室町時代に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)の庇護により、結崎座の父・観阿弥(かんあみ)と子・世阿弥(ぜあみ)の親子が能を大成させました。江戸時代中期に様式がほぼ完成したと言われています。能は演じる立方(たちかた)・声楽を謡う地謡方(じうたいかた)・器楽を奏でる囃子方(はやしかた)などで構成されています。なお能は明治維新前までは猿楽と言われていたが、明治維新後は狂言とともに能楽と言われるようになりました。
伏見稲荷大社見どころ

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