伏見稲荷大社御旅所・伏見稲荷大社見どころ(修学旅行)

伏見稲荷大社御旅所

●伏見稲荷大社御旅所はかつて下京区・八条坊門猪熊(上社・中社)と下京区・七条油小路(下社)に2ヶ所あったが、安土桃山時代の天正年間(1573年~1592年)に関白・豊臣秀吉の命によって現在の場所(八条二階堂屋敷跡)に統合されました。ちなみに七条油小路は公卿・中山忠親(なかやまただちか)著の「山槐記(さんかいき)・1151年(仁平元年)~1194年(建久5年)」に平安時代後期の1167年(仁安2年)に鳥羽上皇(第74代・鳥羽天皇)が御幸したことが記され、八条坊門猪熊は鎌倉時代後期(13世紀末頃)編纂の「百錬抄(ひゃくれんしょう)」に鎌倉時代前期の1226年(嘉禄2年)に焼失したことが記され、それ以前から造営されていたとも言われています。旧地には南区古御旅町(旧・西九条村)の地名も残されています。その後1973年(昭和48年)に神輿奉安所が建てられました。なお御旅所には神輿奉安所以外にも稲荷大神(いなりおおかみ)を祀る稲荷社・天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)と豊受皇大神(とようけのすめおおかみ)を祀る大神宮、上之命婦(かみのみょうぶ)を祀る上命婦社、下之命婦(しものみょうぶ)を祀る下命婦社も建立されています。御旅所には舞殿・二丸大明神・鳥居などもあります。なお御旅所では稲荷祭の神幸祭から還幸祭の期間中に御朱印が授与されています。
豊臣秀吉は戦国時代(室町時代後期)の1537年(天文6年)2月6日に織田信長の足軽(百姓)・木下弥右衛門(きのしたやえもん)と美濃の鍛冶・関兼貞の娘・なか(仲)の間に生まれました。先ず今川氏の家来で、引馬城の支城・頭陀寺城(ずだじじょう)城主・松下之綱(まつしたゆきつな)に仕え、1554年(天文23年)頃から戦国大名・織田信長に仕えました。1561年(天正9年)に浅野長勝(あさのながかつ)の養女・北政所(ねね)と恋愛結婚しました。その後戦功を重ねて頭角を現し、1573年(天正元年)に浅井氏が滅亡すると長浜城城主になりました。1582年(天正10年)に明智光秀(あけちみつひで)が織田信長に謀反を起こした本能寺の変後、山崎の戦いで明智光秀を破り、京都の支配権を掌握しました。1583年(天正11年)の賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)で柴田勝家を破りました。その後四国・九州・関東・奥羽を平定し、1590年(天正18年)に天下を統一を成し遂げました。ちなみに1585年(天正13年)に関白、翌1586年(天正14年)に豊臣姓を賜って、太政大臣になりました。その後唐入りを目指し、1592年(天正20年)から文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)が始まりました。なお豊臣秀吉は1598年(慶長3年)8月18日に62歳で伏見城内で亡くなりました。
●伏見稲荷大社御旅所では稲荷祭の神幸祭から還幸祭の期間中に田中社・上社(一の峰)・下社(三の峰)・中社(二の峰)・四之大神の5基の神輿が駐輿します。そして駐輿期間中に氏子祭として、5基の神輿が氏子地区を巡行します。また舞殿で中堂寺六斎念仏も奉納されます。
稲荷祭は「稲荷谷響記(いなりこくきょうき)」に「社司伝来記曰、古説云、稲荷祭ハ、自二貞観年中一始、天暦以降専被レ行レ之、云々」と記され、平安時代前期の貞観年間(859年~877年)から行われているとも言われています。また908年(延喜8年)に初めて行われたとも言われています。なお稲荷祭は江戸時代に葵祭(賀茂祭)・祇園祭とともに京の三大祭に数えられたそうです。
伏見稲荷大社見どころ

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