伏見稲荷大社・東福寺散策コース(芬陀院・天得院・泉涌寺)

伏見稲荷大社(Fushimi Inari taisha Shrine)

伏見稲荷大社・東福寺散策コース

伏見稲荷大社・東福寺散策コースは千本鳥居がある伏見稲荷大社と京都随一の紅葉名所である東福寺を結ぶ散策コースです。南側の伏見稲荷大社から北側の東福寺までは距離が約1.6キロあり、徒歩で約20分掛かります。散策コースはあまり迷うことなく行くことができます。伏見稲荷大社・東福寺散策コース周辺には稲荷山に祀られている伏見神宝神社・雪舟が作庭したと言われる庭園がある芬陀院・桔梗の寺と言われる天得院・成人の日に泉山七福神巡りが行われる泉涌寺などがあります。伏見稲荷大社・東福寺散策コースは紅葉シーズンにおすすめの散策コースです。伏見稲荷大社では境内にたくさんの摂末社や塚などが祀られ、東福寺・泉涌寺では山内に塔頭が建立され、それらを一緒に巡るのもおすすめです。

【伏見稲荷大社・東福寺散策コース】

【伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ) 概要】

伏見稲荷大社は社伝によると711年(和銅4年)2月初午の日に伊侶巨秦公が勅命を受け、伊奈利山の三つの峯の平らな場所に稲荷大神を祀ったのが起源と言われています。稲荷大神は711年(和銅4年)2月の初午の日に初めて稲荷山に鎮座したとされ、例年2月の初午の日に初午大祭が行われています。初午大祭では古くから多くの参詣者が参拝したことから京洛初春第一の祭事とも言われました。その後827年(天長4年)に弘法大師・空海が嵯峨天皇から東寺を賜ると東寺の鎮守社になりました。1072年(延久4年)に後三条天皇が初めて行幸し、鎌倉時代に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝が武運を祈念しました。1588年(天正16年)に関白・豊臣秀吉が母・大政所の病気回復を伏見稲荷大社で祈願し、1589年(天正17年)に楼門を再建しました。
京都・伏見稲荷大社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)伏見稲荷大社見どころ

【伏見神宝神社(ふしみかんだからじんじゃ) 概要】

伏見神宝神社は平安時代には稲荷山上に祀らていたと言われています。その後仁和年間に宇多天皇が三重・伊勢神宮などに神宝・幣帛を奉献する大神宝使を発遣しました。1589年(天正17年)に里宮が建立されたが、その後荒廃したと言われています。1957年(昭和32年)に再建されました。伏見神宝神社は天照大御神を主祭神、稲荷大神を配神として祀っています。
伏見神宝神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

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【芬陀院(ふんだいん) 概要】

芬陀院は東福寺の塔頭です。芬陀院は元亨年間に一条経通が父・内経の為に東福寺開山である聖一国師・円爾の法孫・定山祖禅を開山として創建しました。芬陀院の寺号は一条内経の法号・芬陀利華院に由来しています。その後荒廃し、元禄年間に一条兼輝が再興したが、1755年(宝暦5年)に火災に見舞われ、1778年(安永7年)に桃園天皇の皇后で、後桃園天皇の母・恭礼門院(一条富子)の旧殿が移されました。芬陀院には雪舟が作庭したと言われる庭園があり、雪舟寺と言われています。
芬陀院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【天得院(てんとくいん) 概要】

天得院は東福寺の塔頭です。天得院は正平年間に東福寺30世・無夢一清禅師が創建した5塔頭のひとつが起源です。その後衰微し、大機慧雄禅師が再興し、1614年(慶長19年)に東福寺227世・文英清韓が住持になりました。文英清韓は関白・豊臣秀吉の子・秀頼の要請により、方広寺の梵鐘の鐘銘を撰文したが、「国家安康」・「君臣豊楽」の文字があり、徳川家康の怒りを招いて取り壊されました。1789年(天明9年)に伽藍が再建されました。
天得院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【泉涌寺(せんにゅうじ) 概要】

泉涌寺は天長年間に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が草庵を結んで、法輪寺と名付けたのが起源とも、855年(斉衡2年)に藤原緒嗣が神修上人に山荘を与えて寺院に改め、仙遊寺と称したのが起源とも言われています。1218年(建保6年)に月輪大師・俊じょうが源頼朝の家臣・宇都宮信房から寄進され、1226年(嘉禄2年)に宋法式を取り入れた大伽藍を建立し、寺号を泉涌寺に改めました。寺号は寺地から清水が涌き出したことに由来しています。1224年(貞応3年)に後堀河天皇が皇室の祈願寺とし、崩御後に陵墓が築かれ、1242年(仁治3年)に四条天皇が崩御すると葬儀が営まれました。江戸時代以降に後水尾天皇から孝明天皇までが山内に葬られ、陵墓に香を焚き、花を供える香華院になり、「御寺」と言われるようになりました。
泉涌寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)泉涌寺見どころ

【東福寺(とうふくじ) 概要】

東福寺は924年(延長2年)に藤原忠平が創建した藤原氏の氏寺・法性寺があった場所です。東福寺は1236年(嘉禎2年)に九条道家が像高5丈の釈迦像を安置する寺院創建を発願し、臨済宗の僧である聖一国師・円爾を開山として仏殿を建立したのが起源です。寺号は奈良における最大の寺院である東大寺と奈良で最も盛大を極めた興福寺から1字ずつ取り、「東福寺」になりました。その後1319年(元応元年)に火災で釈迦像が焼失し、1334年(建武元年)・1336年(延元元年・建武3年)の火災で伽藍の大部分が焼失しました。1346年(貞和3年)に一条経道が仏殿を再建したが、1881年(明治14年)に火災で仏殿などが焼失しました。1917年(大正6年)から本堂(仏殿兼法堂)の再建が始まり、1934年(昭和9年)に完成しました。
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【伏見稲荷大社・東福寺散策コース 備考】
散策コースではグーグルマップを使用して、スポットを紹介しています。

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