源光庵・金閣寺散策コース(光悦寺・常照寺・今宮神社・・・)

源光庵・金閣寺散策コース
源光庵・金閣寺散策コースは「悟りの窓」・「迷いの窓」がある源光庵と世界遺産である金閣寺を結ぶ散策コースです。東側の源光庵から西側の金閣寺までは距離が約2.7キロあり、徒歩で約30分掛かります。源光庵から金閣寺までは結構標高が下っている為、比較的楽に散策することができます。源光庵・金閣寺散策コース周辺には本阿弥光悦ゆかりの光悦寺・吉野太夫ゆかりの常照寺・4月にやすらい祭が行われる今宮神社・千利休ゆかりの大徳寺・きぬかけの路などがあります。今宮神社には1,000年以上の歴史がある一和(一文字屋和助)と600年以上の歴史があるかざり屋があぶり餅を販売している為、寄り道するのがおすすめです。素朴な名物を味わうことができます。ちなみに一和は京都最古の茶店とも言われ、洛中最古とも言われる井戸があります。大徳寺には千利休が雪駄を履いた自身の木像を山門の上層に安置し、関白・豊臣秀吉の怒りを買って切腹の原因になったとも言われる山門があり、歴史を感じることができます。
【源光庵・金閣寺散策コース】
【源光庵(げんこうあん) 概要】
源光庵は1346年(興国7年・貞和2年)に大徳寺2世・徹翁義亨の隠居所として創建され、復古堂と言われたのが起源です。徹翁義亨は1337年(延元2年・建武4年)に大燈国師・宗峰妙超の後席を継いで大徳寺に住し、その後大徳寺山内に徳禅寺を創建して隠居していました。1694年(元禄7年)に自ら復古道人と号した石川・大乗寺の僧・卍山道白が再興し、臨済宗から曹洞宗に改めました。その際1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いで、石田三成に敗れた徳川家の家臣・鳥居元忠らが自刃した伏見城の建物が移され、本堂の天井板は血天井とも言われています。1694年(元禄7年)に本堂、1719年(享保4年)に開山堂が建立されたと言われています。
源光庵(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【光悦寺(こうえつじ) 概要】
光悦寺は1615年(元和元年)に本阿弥光悦が江戸幕府初代将軍・徳川家康から土地を与えられ、草庵を結んで法華題目堂を建立したのが起源です。「本阿弥行状記」によると光悦寺がある場所は辻斬りや追い剥ぎが出没する場所だったが、本阿弥光悦一族や工芸職人が移り住んでからは芸術集落となったそうです。その後1637年(寛永14年)に本阿弥光悦が亡くなると草庵は寺院に改められ、本阿弥光悦の墓碑が建立されています。
光悦寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【常照寺(じょうしょうじ) 概要】
常照寺は1615年(元和元年)に本阿弥光悦が江戸幕府初代将軍・徳川家康から土地を賜って移住した光悦村の一部です。常照寺は1616年(元和2年)に本阿弥光悦と子・本阿弥光嵯が法華の鎮所を建立し、鷹峰に弘通していた寂照院日乾上人を招請し、寂光山常照寺と号したのが起源と言われています。1627年(寛永4年)に日乾上人が僧侶の養成機関である鷹峰檀林を創設しました。1628年(寛永5年)に「六条の七人衆の筆頭」・「天下随一の太夫」と謳われた2代目・吉野太夫が朱塗りの山門(赤門)を寄進しました。常照寺には2代目・吉野太夫の墓が残されています。
常照寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【今宮神社(いまみやじんじゃ) 概要】
今宮神社は794年(延暦13年)の平安京遷都前から疫病鎮めの為の疫神を祀っていた場所です。994年(正暦5年)に疫病が流行し、悪疫退散を祈願する為、御輿2基を造って船岡山に安置した紫野御霊会が今宮祭の起源と言われています。ただ1001年(長保3年)に再び疫病が流行し、朝廷は疫神を船岡山から現在の場所に移し、神殿を造営して今宮社と名付けたのが今宮神社の起源と言われています。その後応仁の乱で焼失し、1593年(文禄2年)に関白・豊臣秀吉が今宮神社・御旅所を再興し、神輿1基を寄進しました。また1694年(元禄7年)に江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院が御牛車や鉾を寄進しました。
今宮神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)・今宮神社見どころ
【大徳寺(だいとくじ) 概要】
大徳寺は1315年(正和4年)に大燈国師・宗峰妙超が同郷の赤松円心の帰依を受け、紫野に小堂・大徳庵を建立したのが起源とも言われています。1325年(正中2年)に花園上皇が大燈国師・宗峰妙超に帰依し、持明院統(北朝)の祈願所にしました。1334年(建武元年)に後醍醐天皇が京都五山の上位に位置付ける綸旨を発しました。しかし1453年(享徳2年)の火災や応仁の乱で焼失し、1474年(文明6年)に一休宗純(一休さん)が再興しました。安土桃山時代に関白・豊臣秀吉が織田信長の葬儀を行い、信長を弔う為に総見院を建立しました。大徳寺はわび茶の完成者である千利休・わび茶を創始した村田珠光・武野紹鴎・小堀遠州などの茶人とゆかりがあります。
大徳寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)・大徳寺見どころ
【きぬかけの路(きぬかけのみち) 概要】
きぬかけの路は衣笠山山麓にいずれも世界遺産である金閣寺から龍安寺を経由し、仁和寺まで続く長さ約2.5キロの道です。きぬかけの路は平安時代に宇多天皇が真夏に雪見をする為、衣笠山に絹を掛けたと言われている故事に因んで、1991年(平成3年)の公募で名付けられました。
【金閣寺(きんかくじ) 概要】
金閣寺は1224年(元仁元年)に西園寺公経が北山第を造営し、氏寺・西園寺を建立した場所でした。その後後醍醐天皇の暗殺未遂が起こると西園寺氏の所領などが没収され、北山第は荒廃しました。1397年(応永4年)に室町幕府3代将軍・足利義満が河内の領地との交換によって北山第を譲り受け、荒廃していた北山第の大改修を開始し、北山殿を造営しました。1408年(応永15年)に義満が亡くなると1409年(応永16年)に足利義持が北山殿の一部を破却し、その後義満の妻・日野康子の御所になりました。1419年(応永26年)に康子が亡くなると金閣以外の建物などは解体され、南禅寺などに移されたと言われています。1420年(応永27年)に義満の遺言により、義満を開基、夢窓疎石を開山として禅寺・北山鹿苑寺に改められました。鹿苑寺の寺号は義満の法号「鹿苑院殿」に由来しています。
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【源光庵・金閣寺散策コース 備考】
散策コースではグーグルマップを使用して、スポットを紹介しています。