銀閣寺・南禅寺散策コース(法然院・安楽寺・哲学の道・・・)

銀閣寺見どころ(Ginkaku-ji Temple)

銀閣寺・南禅寺散策コース

銀閣寺・南禅寺散策コースは世界遺産である銀閣寺と南禅寺を「日本の道100選」に選ばれた哲学の道で結ぶ散策コースです。北側の銀閣寺から南側の南禅寺までは距離が約2.5キロあり、徒歩で約30分掛かります。銀閣寺から南禅寺までは緩やかに下っている為、比較的楽に散策することができます。銀閣寺・南禅寺散策コース周辺には五山送り火に数えられる大文字を管理する浄土院・京都情緒を感じられる哲学の道・法然上人にゆかりがある法然院と安楽寺・「京都三熊野」に数えられて熊野若王子神社・「秋はもみじの永観堂」と言われる永観堂などがあります。桜シーズンには哲学の道・熊野若王子神社・南禅寺、紅葉シーズンには法然院・安楽寺・永観堂・南禅寺でじっくり拝観するのがおすすめです。哲学の道周辺にはカフェ・喫茶店、南禅寺周辺には湯豆腐店などがあり、飲食を楽しむのがおすすめです。

【銀閣寺・南禅寺散策コース】

【銀閣寺(ぎんかくじ) 概要】

銀閣寺は平安時代に智証大師・円珍が創建し、応仁の乱で焼失した浄土寺があった場所です。浄土寺では室町幕府8代将軍・足利義政の弟・義尋(足利義視)が門跡になっていたが、義政に呼び戻されて後継者とされました。その後応仁の乱が勃発して浄土寺が焼失し、山名宗全・細川勝元が相次いで亡くなると義政は足利義尚に将軍職を譲りました。1482年(文明14年)から義政が浄土寺跡に東山山荘・東山殿の造営を始め、1483年(文明15年)に常御所が完成すると移り住み、後土御門天皇から東山殿の名称を賜りました。1486年(文明18年)に東求堂が建立され、1489年(長享3年)に銀閣(観音殿)が建立されました。1490年(延徳2年)に義政が亡くなると遺命により、東山殿は夢窓疎石を勧請開山として、臨済宗相国寺派の禅寺・慈照院に改められました。慈照院の名称は足利義政の法号・慈照院殿喜山道慶に由来しています。1491年(延徳3年)に慈照院は名称を更に慈照寺と改められました。
銀閣寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)銀閣寺見どころ

【浄土院(じょうどいん) 概要】

浄土院は平安時代中期に天台寺門宗の宗祖である智証大師・円珍が創建し、寛仁年間に天台座主25世・明求が堂宇を再建したが、応仁の乱で焼失した浄土寺があった場所です。浄土院は享保年間に泰誉浄久が浄土寺跡に草堂を再建し、浄土院と名付けたのが起源です。その後1732年(享保17年)に随誉が伽藍を再建しました。
浄土院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

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【哲学の道(てつがくのみち) 概要】

哲学の道は琵琶湖疏水分線沿いで、北端の浄土寺橋と南端の熊野若王子橋を結ぶ長さ約1.8キロの小道です。琵琶湖疏水は京都近代化政策の一環として計画され、1890年(明治23年)に琵琶湖疏水分線が完成し、その管理用道路が哲学の道の起源です。明治時代に文人が多く住んで「文人の道」と言われるようになり、その後哲学者が散策するようになって「哲学の小径」・「散策の道」・「思索の道」・「疏水の小径」などと言われるようになりました。1921年(大正10年)に日本画家・橋本関雪と妻・よねが300本の染井吉野の苗木を寄贈し、1932年(昭和7年)にも150本の染井吉野を寄贈しました。1972年(昭和47年)から琵琶湖疏水分線の保存運動が始まり、「哲学の道」と言われるようになりました。哲学の道は京都市内で唯一「日本の道100選」に選ばれています。
哲学の道(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【法然院(ほうねんいん) 概要】

法然院は鎌倉時代初期に法然上人が弟子である安楽・住蓮とともに念仏三昧の別行を修し、六時礼讃を唱えた鹿ヶ谷草庵が起源と言われています。1206年(建永元年)の後鳥羽上皇熊野臨幸の留守中、寵愛した鈴虫・松虫が安楽・住蓮を慕って出家し、法然上人が讃岐に流罪、安楽・住蓮が死罪になり、専修念仏は停止されて草庵は荒廃しました。その後1680年(延宝8年)に知恩院38世・玄誉万無上人が法然上人ゆかりの地に念仏道場を建立することを発願し、弟子・忍澂が再興しました。
法然院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【安楽寺(あんらくじ) 概要】

安楽寺は法然上人の弟子である安楽・住蓮が布教活動の拠点として鹿ヶ谷草庵を結んたのが起源と言われています。1206年(建永元年)の後鳥羽上皇熊野行幸の留守中、寵愛した鈴虫・松虫が法然上人・安楽・住蓮からの念仏の教えに感銘して出家し、法然上人が讃岐に流罪、安楽・住蓮が斬首になりました。松虫・鈴虫は瀬戸内海の生口島・光明防で念仏三昧の余生を送り、松虫は35歳、鈴虫は45歳で亡くなったと言われています。その後鹿ヶ谷草庵は荒廃し、讃岐から戻った法然上人が安楽・住蓮の菩堤を弔う為に復興を命じられ、住蓮山安楽寺と名付けました。天文年間に現在の場所に本堂が再建されました。
安楽寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ) 概要】

熊野若王子神社は社伝によると1160年(永暦元年)に後白河上皇が紀州・熊野三所権現を勧請し、永観堂の守護神として創建したと言われています。社名は天照大神の別称である若一王子に由来しているそうです。その後鎌倉時代・室町時代に武家から信仰されて寄進を受けが、応仁の乱で荒廃し、1582年(天正10年)に若王寺の僧正・澄存が関白・豊臣秀吉の寄進によって再興しました。江戸時代に聖護院門跡の院家になり、正東山若王子乗々院と号したが、明治維新後の神仏分離により、聖護院門跡と分離しました。
若王子神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

【永観堂(えいかんどう) 概要】

永観堂は平安時代に藤原関雄の別荘・東山山荘があった場所です。永観堂は853年(仁寿3年)に弘法大師・空海の高弟・真紹僧都が京都における真言宗密教の実践道場の創建を志し、藤原関雄から寄進されとも、買い取ったとも言われる東山山荘に五智如来を安置したのが起源と言われています。863年(貞観5年)に清和天皇から鎮護国家の道場・定額寺として勅額を賜わり、禅林寺と名付けられました。承暦年間に中興の祖・永観律師が東南院を興して浄土念仏道場に改め、阿弥陀如来を本尊にしました。鎌倉時代に静遍僧都が法然上人に帰依して浄土宗に改めました。1264年(文永元年)に後嵯峨天皇が離宮・禅林寺殿の造営を開始したことから境内南側を割譲したと言われています。室町時代中期に応仁の乱で伽藍の多くを焼失し、1472年(文明4年)以後に後土御門天皇が御影堂、永正年間に後柏原天皇が釈迦堂などを建立したと言われています。
永観堂(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)永観堂見どころ

【南禅寺(なんぜんじ) 概要】

南禅寺は1264年(文永元年)に後嵯峨天皇が営んだ離宮・禅林寺殿(上の御所・下の御所)があった場所です。禅林寺殿は禅林寺(永観堂)に由来しています。南禅寺は1291年(正応4年)に亀山法皇が大明国師・無関普門を開山として離宮を寺院に改め、龍安山禅林禅寺と名付けたのが起源です。南禅寺は皇室発願の最初の禅寺になりました。その後1299年(永仁7年)頃に伽藍が整備され、正安年間に龍安山禅林禅寺から太平興国南禅禅寺に名称を改めました。南北朝時代以降に隆盛を極め、1334年(建武元年)に後醍醐天皇が五山の第一、1385年(元中2年・至徳2年)には室町幕府3代将軍・足利義満が京都五山及び鎌倉五山の上の別格扱いの「五山之上」に列しました。室町時代中期に応仁の乱で伽藍の多くを焼失しました。1605年(慶長10年)に江戸幕府の参与で、「黒衣の宰相」と言われた金地院崇伝が住持になって伽藍を再建しました。
京都・南禅寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)南禅寺見どころ

【銀閣寺・南禅寺散策コース 備考】
散策コースではグーグルマップを使用して、スポットを紹介しています。

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