祇園祭(八坂神社)・粟田祭(粟田神社)
祇園祭・粟田祭
祇園祭・八坂神社とゆかりがあるのが粟田祭・粟田神社です。祇園祭が室町時代に延暦寺(日吉大社)の影響力によって行われなかった際、粟田祭が代わりに行われたとも言われています。また祇園祭の代名詞となっている山鉾も粟田祭の剣鉾が原型だったとも言われています。なお粟田神社は清和天皇の勅により、勅使・藤原興世が八坂神社で祈願した際の神告によって祀られるようになったとも言われています。
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊(あくれい)を移して穢れ(けがれ)を祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。その後平安時代中期の970年(天禄元年)からは例年6月14日に行われるようになったが、室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))によって一時途絶え、戦国時代(室町時代後期)の1500年(明応9年)に町衆の手で再興されました。
●八坂神社(やさかじんじゃ)は656年(斉明天皇2年)に高麗から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)が新羅・牛頭山に座した素戔嗚尊(すさのおのみこと)=牛頭天王(ごずてんのう)を山城八坂郷に奉斎したのが起源とも、876年(貞観18年)に南都の僧・円如が堂(観慶寺)を建立し、薬師千手等の像を奉安したのが起源とも言われています。
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【粟田祭 歴史・簡単概要】
粟田祭(あわたまつり)は平安時代中期の1001年(長保3年)旧暦9月9日の夜、一人の神童が八坂神社に現れ、「今日より7日後に八坂神社の東北の地に瑞祥が現れる。そこに神幸すべし。」と神人に告げ、7日後の9月15日にお告げの通りに瑞光が現れたことから神幸が始まったのが起源と言われています。粟田祭は室町時代に比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)の影響力により、八坂神社の祭礼・祇園祭が行われなかった際、粟田祭が代わりに行われたとも言われています。
●粟田神社(あわたじんじゃ)は起源が明確ではありません。粟田神社は古代の豪族・粟田氏が氏神として祀ったのが起源とも言われています。また粟田神社は平安時代前期の876年(貞観18年)に第56代・清和天皇(せいわてんのう)が兵火や疫病に対する勅を発し、全国の諸神にお供えをして、国家と民の安全を祈願させた際、大己貴命(おおなむちのみこと)からの神告により、八坂神社の祭神・素戔鳴尊(牛頭天王)に縁がある現在の場所に造営されたとも言われています。勅使・藤原興世(ふじわらのおきよ)が7日7晩八坂神社で祈願した際、満願の夜に老翁が枕物に立ち、「我を祀れば、必ず国家と民は安全なり」と告げられたことから朝廷に奏上し、勅命によって社殿を造営して、大己貴命・素戔鳴尊を祀ったとも言われています。
●粟田神社の末社には天目一箇神(あめのまひとつのかみ)・三条宗近(さんじょうむねちか)・粟田口吉光(あわたぐちよしみつ)を祀る鍛冶神社があります。祇園祭の山鉾のひとつである長刀鉾(なぎなたほこ)にはかつて三条宗近が造った長刀が取り付けられていました。
粟田神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報