祇園祭出囃子2025年7月(日程時間・・・)
祇園祭出囃子(日程時間・アクセス・概要・・・)
祇園祭出囃子(日程・時間・・・)を紹介しています。祇園祭出囃子は例年7月9日頃に行われています。出囃子(でばやし)は河原町オーパ(OPA)前で菊水鉾(きくすいほこ)・四条傘鉾(しじょうかさほこ)の囃子方によって祇園囃子が披露されます。なお出囃子は本来の祭礼・祇園祭以外で祇園囃子を奏でることを言います。(詳細下記参照)
★祇園祭最新情報。
【祇園祭出囃子2025 日程時間(要確認)】
祇園祭出囃子2025は2025年(令和7年)7月日(曜日)17:30~20:00まで行われます。なお出囃子は菊水鉾(17:30・18:30・19:30~)・四条傘鉾(18:00・19:00~)の交互に行われます。
*参考・・・河原町オーパ(OPA)ホームページ
●祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭出囃子・OPA(オーパ) アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市中京区河原町通四条上ル
最寄のバス停・・・四条河原町(徒歩約3分)
市バスの路線は次の通りです。
*京都駅からは4系統(A2乗り場)、5系統(A1乗り場)、17系統(A2乗り場)、205系統(A2乗り場)
*四条烏丸からは3系統、203系統、207系統
*河原町丸太町からは4系統、10系統、205系統
路線・時刻表・運賃チェック
*京阪電鉄本線の場合、最寄の駅は祇園四条駅(徒歩約6分)
*阪急電鉄京都線の場合、最寄の駅は京都河原町駅(徒歩約3分)
【祇園祭出囃子 簡単概要】
祇園祭出囃子(でばやし)は河原町商店街振興組合の主催で行われています。出囃子は河原町オーパ(OPA)前で菊水鉾(きくすいほこ)・四条傘鉾(しじょうかさほこ)の囃子方によって祇園囃子(コンチキチン)が披露されます。ちなみに四条傘鉾では祇園囃子だけでなく、赤熊(しゃぐま)を付けた棒振りも行われます。なお出囃子は本来の祭礼・祇園祭(ぎおんまつり)以外で祇園囃子を奏でることを言います。
祇園祭山鉾巡行(前祭)
祇園囃子は室町時代末期に能楽(能・狂言)をヒントに祇園祭で奏でられるようになり、江戸時代に現在のような様式に整えられたと言われています。祇園囃子は鉦(かね・摺り鉦(すりがね))・笛(能菅(のうかん))・太鼓(締め太鼓(しめだいこ))で編成されています。祇園囃子には山鉾に共通している部分もあるが、その多くは各山鉾町独自のものだそうです。ちなみに祇園囃子は親しみを込めて、「コンチキチン」とも言われています。なお祇園囃子には祇園祭で賑やかにお囃子を奏でることにより、疫病の元とされる悪霊を誘い出して引き寄せ、山鉾町に持ち帰って蔵に封じ込める役割があるとも言われています。
能・狂言はとともに平安時代に起こった猿楽(さるがく)が起源です。能はストーリー性のある猿楽の能から発展した歌舞劇、狂言は滑稽な物真似(ものまね)を洗練させた庶民的な喜劇・笑劇です。なお能・狂言は明治維新前までは猿楽と言われていたが、明治維新後は能楽と言われるようになりました。
*参考・・・河原町商店街振興組合
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に京都で疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)=素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、そのご機嫌をとる為に牛頭天王を奉る八坂神社(祇園社)を信仰し、病魔退散を祈願した「祇園御霊会(御霊会・ごりょうえ)」が起源です。御霊会では日本全国の国の数に準じ、66本の鉾を作り、神泉苑(京都市中京区御池通大宮)に送り、悪疫を封じ込めました。その後970年(天禄元年)からは例年6月14日に行われるようになったが、応仁の乱(1467年~1477年)で祭りは途絶えました。しかし1500年(明応9年)に町衆の手で再興されました。なお祇園祭の山鉾行事は2009年(平成21年)ユネスコの無形文化遺産に登録されました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)
【菊水鉾 歴史・簡単概要】
菊水鉾は起源が明確ではありません。菊水鉾は室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))前の山鉾と地名を記した「祗園社記」第15(八坂神社記録)には「菊水ほく・留水ほく(錦小路と四条間)」と記され、応仁の乱前には既に創建されていたと言われています。菊水鉾は戦国時代(室町時代末期)に町内に千利休(せんのりきゅう)の師である茶人・武野紹鴎の大黒庵があり、その屋敷にあった名水・菊水井に由来しています。武野紹鴎は24歳の時に京に上洛し、三条西実隆から古典や連歌、藤田宗理などから茶の湯を学び、菊水井を求めて大黒庵を構え、36歳の時に堺に帰るまで住したと言われています。武野紹鴎は四畳半の侘び茶を更に簡素化した小座敷・侘敷(わひしき)を創作しました。菊水鉾は幕末(江戸時代末期)の1864年(元治元年)のどんどん焼けで焼失し、1952年(昭和27年)に88年振りに再興され、仮鉾で山鉾巡行に参加し、1953年(昭和28年)に完工祭が行われ、本鉾で山鉾巡行に復帰しました。
*参考・・・菊水鉾(祇園祭山鉾前祭)
【四条傘鉾 歴史・簡単概要】
四条傘鉾は起源が明確ではありません。四条傘鉾は室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))前の山鉾と地名を記した「祗園社記」第15(八坂神社記録)には「こきやこはやし物(四条油小路と西洞院間)」と記され、応仁の乱前には既に創建されていたと言われています。四条傘鉾は綾傘鉾(あやかさほこ)とともに応仁の乱以前からあった古い形式を受け継ぐ傘鉾と言われています。四条傘鉾は応仁の乱の兵火によって焼失したが、戦国時代(室町時代後期)の1500年(明応9年)に再興されました。その後幕末(江戸時代末期)の1864年(元治元年)の大火で再び焼失し、1871年(明治4年)を最後に途絶えました。1985年(昭和60年)に傘鉾が再興されて居祭を続けてきたが、1988年(昭和63年)に山鉾巡行に欠かせない踊りと囃子が復元され、32番目の山鉾として117年振りに巡行に再び加わりました。
*参考・・・四条傘鉾(祇園祭山鉾前祭)
【祇園祭出囃子 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
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