御香宮神社の歴史-修学旅行・観光の簡単解説(御諸神社

御香宮神社の歴史を時代別年表にまとめ
御香宮神社の歴史を簡単にまとめています。御香宮神社は創建年が不詳だが、御諸神社と称したのが起源です。862年(貞観4年)に境内の椎の木の根元から香のよい香水が湧き、清和天皇から「御香宮」の名称を賜りました。(時代別年表・重要人物下記参照)
【御香宮廃寺】
●飛鳥時代(592年~710年)後期頃に御香宮廃寺が創建されていたとも言われています。境内から瓦などが出土しています。
【御香宮神社創建(起源・由来)】
●御香宮神社は創建年が不詳だが、御諸神社(みもろじんじゃ)と称したのが起源と言われています。なお御香宮神社は北村季吟(きたむらきぎん)が著した「菟芸泥赴(つぎねふ)」によると筑紫国(福岡)・香椎宮(かしいぐう)から勧請し、主祭神・神功皇后(じんぐうこうごう)を祀って創建されたとも言われています。香椎宮は200年(仲哀天皇9年)に神功皇后が自ら祠を建て、筑紫国・橿日宮(かしいのみや)で崩御した第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の神霊を祀ったのが起源と言われています。奈良時代前期の723年(養老7年)2月6日に神功皇后の神託があり、廟の建立が開始され、724年(神亀元年)12月20日に廟として創建されたと言われています。
●862年(貞観4年)9月9日に境内の椎の木の根元から香のよい香水が湧き、第56代・清和天皇(せいわてんのう)から「御香宮」の名称を賜りました。また清和天皇は社殿も修復したとも言われています。
【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】
●平安時代中期に「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」に「御諸神社」と記され、式内社に列せられました。
【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】
●鎌倉時代以降に社地が長講堂(ちょうこどう)領にあり、伏見宮家の庇護を受けたと言われています。
●鎌倉時代中期の元寇(1274年(文永11年)の文永の役・1281年(弘安4年)の弘安の役)の際、第91代・後宇多天皇(ごうだてんのう)が供物を奉納したと言われています。
【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の歴史・出来事】
●南北朝時代に伏見宮貞房親王が産土神(うぶすながみ)として崇敬したと言われています。
【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】
●室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))によって焼失しました。
【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の歴史・出来事】
●1590年(天正8年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が願文と金熨斗付太刀(重要文化財)を奉納し、祈願しました。
●安土桃山時代に豊臣秀吉が伏見城を築城した際、御香宮神社を鬼門の守護神として伏見城内に移しました。また社領300石を献じました。なお伏見城は1592年(天正20年)に豊臣秀吉が甥・豊臣秀次(とよとみひでつぐ)に関白職を譲り、平安時代から観月の名所であった伏見指月(しげつ)に隠居所として隠居屋敷を造営したのが起源です。1593年(文禄2年)に豊臣秀頼(とよとみひでより)が誕生し、大坂城を豊臣秀頼に譲る為に隠居屋敷の大規模な改修が始まり、1594年(文禄3年)に城下町が整備され、家臣団の屋敷や大名屋敷が建てられました。しかし1596年(慶長元年)の慶長伏見地震(けいちょうふしみじしん)によって建物が倒壊しました。その後北約500メートルにある木幡山(こばたやま)に場所を移して築城が再開され、1597年(慶長2年)5月に天守閣が完成し、豊臣秀吉が移ってきたが、1598年(慶長3年)8月18日に豊臣秀吉が伏見城で亡くなりました。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
●1605年(慶長10年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が京都所司代・坂倉勝重(いたくらかつしげ)を普請奉行として元の場所に移し、本殿を建立しました。また社領300石を献じました。
●江戸時代前期に徳川家康の九男・徳川義直(とくがわよしなお)、十男・徳川頼宣(とくがわよりのぶ)、十一男・徳川頼房(とくがわよりふさ)が誕生し、御香水が産湯に使われました。
●1622年(元和8年)に水戸黄門(みとこうもん)とも言われる徳川光圀(とくがわみつくに)の父で、水戸徳川家初代・徳川頼房の寄進により、伏見城の大手門を移して表門が建立されたと言われています。
●1625年(寛永2年)に紀州徳川家初代・徳川頼宣の寄進によって拝殿が建立されました。
●1868年(慶応4年)に伏見鳥羽の戦が起こった際、官軍(薩摩藩)の屯所になりました。竹田街道を挟んで南側にあった伏見奉行所を本営とする幕府軍(会津藩・新選組)を砲撃して陥落させたが、戦火を免れました。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
●明治時代に府社に列せられました。
●1982年(昭和57年)に明治時代以降に枯れていた御香水が復元され、1985年(昭和60年)1月に名水百選に選ばれました。
【御香宮神社を伏見城内に移した豊臣秀吉】
豊臣秀吉は1537年(天文6年)に織田信長の足軽(百姓)・木下弥右衛門と美濃の鍛冶・関兼貞の娘・なか(天瑞院)との間に生まれました。1554年(天文23年)頃から信長に仕え、1561年(天正9年)に浅野長勝の養女・ねね(北政所)と恋愛結婚しました。その後戦功を重ねて頭角を現し、1582年(天正10年)に明智光秀が信長に謀反を起こした本能寺の変後、山崎の戦いで光秀を破り、四国・九州・関東・奥羽を平定し、1590年(天正18年)に天下を統一を成し遂げ、1598年(慶長3年)に62歳で伏見城内で亡くなりました。なお豊臣秀吉は1585年(天正13年)に関白、翌1586年(天正14年)に豊臣姓を賜って、太政大臣になりました。
【御香宮神社の歴史 備考】
*参考・・・御香宮神社(歴史・見どころ・・・)ホームページ