祇園祭と第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう)

祇園祭と第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう)

祇園祭では第77代・後白河天皇が1157年(保元二年)に八坂神社の威儀を増す為、祇園祭執行の費用を負担する馬上役を洛中の富家から差定する制度を設けました。また後白河法皇は1172年(承安2年)に神輿3基も寄進しました。

【祇園祭2025 日程】
祇園祭2025は2025年7月1日(火曜日)の吉符入(きっぷいり)から2025年7月31日(木曜日)の疫神社(えきじんじゃ)の夏越祭(なごしさい)までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)

【祇園祭と第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう)】
祇園祭では第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう)が平安時代後期の1157年(保元二年)に八坂神社の威儀を増す為、祇園祭執行の費用を負担する馬上役を洛中の富家から差定する制度を設け、その象徴として社家に鉾(鎌鉾)三張が下賜されました。「八坂神社記録上」所収の「社家条々記録」に「保元二年(丑丁)六月一日、為添御霊会祭礼、為増天神之威儀、副鎌鉾三張被下社家、勅云、為儼明神之祭礼、宜被下鉾、早尋捜洛中富家、可差定馬上役云々、則為断末代之牢籠、以御厩舎人六郎先生光吉勤仕、爰元亨三年馬上被停止了、自保元二年始差定、至丁元亨三年停止、年百六十七年也、」と記されています。祇園祭の執行費用は基本的に朝廷が負担し、八坂神社に荘園も寄進されていたが、必ずしも資金は潤沢ではなく、後白河天皇が洛中の富家から徴収する制度を設けました。また後白河法皇は1172年(承安2年)に神輿3基も寄進しました。後白河法皇は1179年(治承3年)6月14日に三条室町に桟敷を設け、当時に祇園祭の神幸祭(しんこうさい)よりも賑やかだった還幸祭(かんこうさい)を見物した記録も残されています。後白河法皇は摂関家が祇園祭に華麗な装束で、騎馬で供奉する馬長(うまおさ)調進も命じたと言われています。ちなみに清少納言(せいしょうなごん)が記した「枕草子(まくらのそうし)・(能因本)」に「心ちよげなるもの卯杖のほうし。神楽の人長。池の蓮の村雨にあひたる。御霊会(祇園祭)の馬長。また、御霊会のふりはた取り持たる者。」と記し、馬長は注目される存在だったようです。なお後白河法皇は祇園祭などの様子を「年中行事絵巻」に描かせ、貴重な資料になっています。
「年中行事絵巻」は平安時代に行われていた宮中の儀式・祭事・法会・遊戯・民間風俗など描かれています。「年中行事絵巻」は後白河法皇が御用絵師・常盤光長らに制作させ、藤原基房に校閲させ、三十三間堂の宝蔵に納められました。ただ原本は平安時代後期の1157年(保元2年)~1179年(治承3年)頃に完成したが、その後散逸したり、内裏の火災で焼失したりし、江戸時代前期の1661年(寛文元年)頃に土佐広通(住吉如慶)らが写した模本が伝わっています。

【第77代・後白河天皇 祇園祭】
第77代・後白河天皇は1127年(大治2年)10月18日に第74代・鳥羽天皇と藤原璋子の間に生れ、後白河天皇の第4皇子でした。同年11月14日に親王宣下を受け、1139年(保延5年)12月27日に元服しました。1129年(大治4年)に曽祖父・白河法皇(第72代・白河天皇)が崩御すると父が院政を開始し、藤原得子を寵愛したことから第75代・崇徳天皇に譲位を迫り、1142年(永治元年)に父と藤原得子の間に生れた第9皇子・体仁親王が第76代・近衛天皇)に即位しました。1155年(久寿2年)に近衛天皇が崩御し、藤原得子の養子となっていた後白河天皇の第1皇子・子守仁親王(第78代・二条天皇) が即位するまでの中継ぎとして、立太子を経ないまま29歳で第77代・後白河天皇に即位しました。後白河天皇は皇位継承がもとで起こった保元の乱で勝利したが、1158年(保元3年)に在位僅か3年で子・子守仁親王に譲位して第78代・二条天皇が即位し、院政を開始しました。二条天皇、第79代・六条天皇、第80代・高倉天皇、第81代・安徳天皇、第82代・後鳥羽天皇の5代・30余年にわたって院政を行いました。(停止・中断あり)1169年(仁安4年)に離宮・法住寺殿で出家して法皇になりました。院政期間中に平治の乱・源平の合戦を経て、鎌倉幕府が成立しました。なお第77代・後白河天皇は1192年(建久3年)4月26日に崩御しました。

【祇園祭と第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう) 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2025日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)

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