北野天満宮御誕辰祭2025年6月25日(日程時間・・・)

御誕辰祭

北野天満宮御誕辰祭

北野天満宮御誕辰祭(日程・時間・・・)を紹介しています。御誕辰祭は例年6月25日に行われています。御誕辰祭は祭神・菅原道真の誕生を祝う神事です。なお御誕辰祭は夏越天神(なごしてんじん)とも言われ、楼門に京都最大とも言われている約5メートルの大茅の輪を設置し、半年間の穢れを祓い、無病息災を祈願する大茅の輪くぐりも行われます。(詳細下記参照)

【北野天満宮御誕辰祭2025 日程時間(要確認)】
北野天満宮御誕辰祭2025は2025年(令和7年)6月25日(水曜日)5:00から行われます。(祭礼非公開)5:30から茅の輪くぐりが行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・北野天満宮ホームページ

【北野天満宮御誕辰祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町
最寄り駅・バス停・・・北野天満宮前(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から北野天満宮は50系統(B2乗り場)、101系統(B2乗り場)
*四条河原町からは51系統
*四条烏丸からは55系統、101系統、203系統
*河原町丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック

*嵐電(京福電鉄)北野線の場合、最寄り駅は北野白梅町駅(徒歩約7分)

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【北野天満宮御誕辰祭 歴史・簡単概要】
北野天満宮御誕辰祭(ごたんしんさい)は祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)の誕生を祝う神事です。御誕辰祭は神職が前夜から神社に参籠し、身を清めて厳粛に斎行されます。御誕辰祭は夏越天神(なごしてんじん)とも言われ、楼門に京都最大とも言われている約5メートルの大茅の輪を設置し、半年間の穢れを祓い、無病息災を祈願する大茅の輪くぐりも行われます。ちなみに祭神・菅原道真は学問の神様とされていることから「茅の輪(ちのわ)」は「智の輪」ともされ、無病息災とともに知恵のご利益があるとも言われています。なお御誕辰祭では楼門だけでなく、本殿前にも茅の輪が設置され、茅の輪くぐりをすることができます。
菅原道真は845年(承和12年)6月25日(旧暦の8月1日)に平安時代前期の公家・菅原是善(すがわらのこれよし)と母・伴真成の娘の三男として生まれました。幼少の頃から和歌・漢詩に優れ、862年(貞観4年)に文章生試験に合格し、877年(元慶元年)には文章博士・式部少輔になりました。政治家としても手腕を発揮し、899年(昌泰2年)に右大臣に任命されるが、901年(延喜元年)に左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言(告げ口)により、太宰府に左遷され、903年(延喜3年)3月25日(旧暦の2月25日)に亡くなりました。道真の死後、都では悪疫が続き、道真の怨霊の仕業と恐れられました。その為道真の死後20年目に朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈りました。993年(正暦4年)には正一位・右大臣・太政大臣を追贈しました。
茅の輪(ちのわ)は素戔嗚尊(すさのおのみこと)が后を求めて旅に出た際、貧しい蘇民将来(そみんしょうらい)が快くもてなし、素戔嗚尊の教えに従って茅の輪を腰に付けたところ疫病を逃れることができ、子々孫々まで繁栄したという故事に由来する古来からの風習です。なお茅の輪くぐりでは先ず左足から茅の輪をくぐって左に回り、次に右足から茅の輪をくぐり右に回り、最後に左足から茅の輪をくぐり左に抜けます。つまり茅の輪は八の字を描くように合計3回くぐります。茅の輪をくぐる際、「水無月の 夏越の祓へする人は 千歳の命 延ぶというなり」などと心の中で唱えます。
楼門(ろうもん)は本来本殿(国宝)の正面になければならないが、北野天満宮が造営される前から摂社・地主社(じぬししゃ)があったことから地主社が正面になり、本殿は筋違いの本殿と言われ、北野天満宮の七不思議のひとつに数えられています。
●北野天満宮の歴史(創建から現在)を紹介しています。
北野天満宮歴史(菅原道真・豊臣秀吉・豊臣秀頼)
●北野天満宮の見どころ(本殿・三光門など)を紹介しています。
北野天満宮見どころ(本殿・三光門など)

【北野天満宮 歴史・簡単概要】
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は平安時代中期の947年(天暦元年)に西ノ京に住んでいた多治比文子(たじひのあやこ)・近江(滋賀)比良宮(ひらのみや)の神主である神良種(みわのよしたね)・北野朝日寺(東向観音寺(ひがしむかいかんのんじ))の僧である最珍(さいちん・最鎮)らが神殿を造営し、祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)を祀ったのが起源です。903年(延喜3年)に菅原道真が左遷された大宰府で没し、942年(天慶5年)に多治比文子に宣託があり、947年(天暦元年)には神良種の子・太郎丸に再び託宣があったとも言われています。その後菅原道真の左遷の原因になった左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の甥・藤原師輔(ふじわらのもろすけ)が私邸を寄贈し、大規模な社殿が造営されました。987年(永延元年)に第66代・一条天皇が勅使を派遣して国家の平安を祈願する勅祭が行われ、神号「北野天満宮天神」を賜り、1004年(寛弘元年)には一条天皇が行幸し、その後皇室に崇敬されました。しかし1444年(文安元年)の文安の麹騒動(ぶんあんのこうじそうどう)で室町幕府の攻撃によって焼失して一時衰退しました。1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が境内で北野大茶会(きたのだいさのえ)を行い、1607年(慶長12年)には秀吉の子・豊臣秀頼が本殿などを造営しました。なお北野天満宮は「文道の大祖・風月の本主」と言われる菅原道真を祀っていることもあり、学問の神として多くの信仰を集めています。
北野天満宮は菅原道真を祀った神社の総本社です。
*参考・・・京都・北野天満宮(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ

【北野天満宮御誕辰祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
京都・北野天満宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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