玉林院南明庵・玉林院見所(修学旅行・観光)

玉林院南明庵・蓑庵・霞床席

●玉林院南明庵・蓑庵・霞床席は1941年(昭和16年)5月8日に国の重要文化財に指定されました。
●玉林院南明庵・蓑庵・霞床席は江戸時代中期の1742年(寛保2年)に大坂の豪商・鴻池(こうのいけ)家が大龍(だいりゅう)和尚に帰依して建立しました。
鴻池家は山中幸盛(やまなかゆきもり)の次男・鴻池新六幸元(こうのいけしんろくゆきもと)が始祖とも言われています。新六は武士を辞め、摂津国川辺郡鴻池村に移り住んで濁り酒の醸造・販売を始め、その後清酒の醸造にも成功して巨利を得たと言われています。その後江戸時代前期の1619年(元和5年)に大坂内久宝寺町(大阪市中央区)に移って海運業にも進出しました。1656年(明暦2年)に醸造業・海運業を止め、両替商に蔵元・掛屋を兼ね、大名貸を行うようになりました。1670年(寛文10年)に天王寺屋(てんのうじや)・平野屋(ひらのや)などとともに十人両替の一員になりました。また幕府御国役・東西両奉行の掛屋も務め、新田開発にも投資しました。鴻池家は江戸時代に三井家・加島屋と並ぶ大坂の豪商に発展しました。
●玉林院南明庵は六畳敷の仏壇(ぶつだん)・板間などから構成され、入母屋造(いりもやづくり)のこけら葺(こけらぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。
こけら葺は木材の薄板を使って屋根を葺く方法です。こけら葺は板葺(いたぶき)の一種です。板葺では板厚が2~3ミリの場合にこけら葺、板厚が4~7ミリの場合に木賊葺(とくさぶき)、板厚が1~3センチの場合に栩葺(とちぶき)と言われています。板葺にはヒノキ・サワラ・スギ・エノキ・トクサ・クヌギなどが用いられます。板葺は古墳時代から屋根に用いられるようになったとも言われ、茅葺(かやぶき)に次いで古いとも言われています。
●玉林院蓑庵は三畳中板入茶室(さんじょうなかいたいりちゃしつ)・水屋などから構成され、切妻造(きりづまづくり)のこけら葺です。蓑庵は表千家7世・如心斎宗左(じょしんさいそうさ)の好みと言われています。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
●玉林院霞床席は四畳半茶室(よじょうはんちゃしつ)・次の間(四畳半)などから構成され、切妻造のこけら葺です。霞床席は床の間の中央に違い棚を設け、その奥の壁に富士山の掛け軸を掛け、違い棚を富士山に掛かる霞に見立てることから名称の由来になっています。
玉林院

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