浄瑠璃寺行者まつり2025年6月7日(日程時間・・・)

浄瑠璃寺

浄瑠璃寺行者まつり

浄瑠璃寺行者まつり(日程・時間・・・)を紹介しています。行者まつりは例年6月7日に行われています。行者まつりでは先ず大日如来潅頂堂で法要が行われ、その後法話などが行われます。行者まつりは役行者神変大菩薩の千三百年御遠忌に頭巾を被り、高下駄を履いて岩座に腰掛けている木造行者像を修復したことなどに由来しています。(詳細下記参照)

【浄瑠璃寺行者まつり2025 日程時間(要確認)】
浄瑠璃寺行者まつり2025は2025年(令和7年)6月7日(土曜日)10:00~16:00に行われます。(現在確認中・要注意)過去のタイムテーブルは13:30から法要、14:00から法話などが行われます。

【浄瑠璃寺行者まつり アクセス・マップ】
場所・・・京都府木津川市加茂町西小札場40
最寄り駅・バス停・・・浄瑠璃寺前(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR加茂駅からはコミュニティバス当尾線

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【浄瑠璃寺行者まつり 歴史・簡単概要】
浄瑠璃寺行者まつり(ぎょうじゃまつり)は2003年(平成14年)から行われています。行者まつりは修験道の祖である役行者神変大菩薩(えんのぎょうじゃしんぺんだいぼさつ)・役小角(えんのおづの)の千三百年御遠忌に浄瑠璃寺に伝来している頭巾を被り、高下駄を履いて岩座に腰掛けている木造行者像を修復し、岩座や前鬼後鬼の造像が行われたことに由来しています。
行者まつりでは先ず大日如来潅頂堂(かんじょうどう)で法要が行われ、その後法話などが行われます。
役行者は飛鳥時代から奈良時代の呪術僧で、修験道の祖とされています。役行者は634年(舒明天皇6年)に父・大角(おおづぬ)と母・白専女(しらとうめ)の間で、賀茂一族(高賀茂朝臣)として生まれ、17歳で奈良・元興寺(がんごうじ)で孔雀明王(くじゃくみょうおう)の呪法を学び、葛城山(かつらぎさん)・熊野(くまの)・大峰(おおみね)で山岳修行を続け、吉野金峯山(きんぷさん)で金剛蔵王大権現(こんごうざおうごんげん)を感得し、日本古来の山岳信仰(宗教)や山修行(山岳修行)と外来の密教(仏教)などを融合させた修験道の基礎を築き、701年(大宝元年)6月7日(新暦の7月16日)に68歳で大阪箕面・天上ヶ岳(てんじょうがだけ)で亡くなったと言われています。なお役行者は1799年(寛政11年)に光格天皇から諡号・神変大菩薩(じんぺんだいぼさつ)を賜りました。

【浄瑠璃寺 歴史・簡単概要】
浄瑠璃寺(じょうるりじ)は「浄瑠璃寺流記事(じょうるりじるきのこと)」によると1047年(永承2年)に奈良当麻出身の僧・義明上人が本堂を建立したのが起源とも言われています。浄瑠璃寺の名称は三重塔(国宝)の内陣に安置されている薬師如来の居所たる浄土・東方浄瑠璃世界に由来すると言われています。その後干支が一巡した60年後の1107年(嘉承2年)に本尊・薬師如来を西堂に移し、旧本堂を取り壊して新本堂を建立し、9体の阿弥陀如来像(国宝)を安置し、翌1108年(嘉承3年)に仏像の開眼供養を行ったと言われています。平安時代に横に長い本堂に9体の阿弥陀如来を安置した堂は京都を中心に30以上あったと言われているが、現存するのは浄瑠璃寺だけと言われています。その後1157年(保元2年)に本堂を西岸に壊渡(移建)し、1178年(治承2年)には京都・一条大宮から三重塔(国宝)が移建されたと言われています。なお浄瑠璃寺は奈良・興福寺(こうふくじ)の塔頭・一乗院(いちじょういん)の末寺であったが、明治初期に真言律宗に改め、奈良・西大寺(さいだいじ)の末寺になりました。
浄瑠璃寺は真言律宗の寺院です。
*参考・・・浄瑠璃寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

【浄瑠璃寺行者まつり 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
浄瑠璃寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報

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