祇園祭と秦助正(はたのすけまさ)・大政所御旅所

八坂神社大政所御旅所

祇園祭と秦助正(はたのすけまさ)・大政所御旅所

祇園祭ではかつて神輿が大政所御旅所・少将井御旅所に渡御していました。大政所御旅所は974年(天延2年)に東洞院高辻に住む秦助正が八坂大神からの神託を受け、円融天皇も同じ夢を見ていたことから秦助正の自宅が大政所御旅所になりました。

【祇園祭 日程】
祇園祭は7月1日の吉符入(きっぷいり) から7月31日の疫神社(えきじんじゃ)の夏越祭(なごしさい)までの7月1ヶ月に渡って行われます。
祇園祭2024日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑(しんせんえん)に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散(びょうまたいさん)を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)

【祇園祭と秦助正(はたのすけまさ)・大政所御旅所】
祇園祭ではかつて大政所神輿(おおまんどころみこし)・八王子神輿(はちおうじみこし)が大政所御旅所(おおまんどころおたびしょ)、少将井神輿(しょうしょういみこし)が少将井御旅所(しょうしょういおたびしょ)と八坂神社の間を渡御していました。大政所御旅所は平安時代中期の974年(天延2年)に東洞院高辻に住む秦助正(はたのすけまさ)が「汝の家を影向の地とせん 速やかに朝廷に奏上せよ」という八坂大神(やさかのおおかみ)からの神託を受け、第64代・円融天皇(えんゆうてんのう)も同じ夢を見ていたことから秦助正の自宅が大政所御旅所になりました。「祇園社記」第23巻の「大政所之記」に「当社古文書云 円融院天延二年五月下旬 以先祖助正之居宅(高辻東洞院)為御旅所 可有神幸之由有神託之上 後園有狐塚 蛛糸引延及当社神殿 所司等惟之 尋行引通助正宅畢 仍所司等経 奏聞之刻 以助正為神主 以居宅可為御旅所之由被 宣下之 祭礼之濫觴也 自企以来不交異姓 十三代相続 干今無相違神職也云々」、また1431年(永享3年)9月14日の「御前落居記録」に「円融院御宇天延二年五月下旬天王御影向野時 先祖助正御共申被補神主職以来不移他所職之処」と記され、秦助正の自宅後ろの狐塚から八坂神社の神殿に蜘蛛の糸が伸びて続き、八坂神社の所司が怪しんで秦助正の自宅まで訪ねました。そのことを朝廷に奏上すると秦助正を神主とし、その自宅を大政所御旅所とする宣下がありました。それ以来、秦助正の子孫13代に渡って大政所御旅所の神主を世襲しました。大政所御旅所の建立は祇園祭で神輿が御旅所に渡御する起源になりました。その後桃山時代の1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が大政所御旅所と少将井御旅所を統合し、四条京極(寺町)の河原地に祇園御旅所を建立しました。祇園御旅所では北御旅所が津田家(後に藤井家)、南御旅所が因幡堂薬王院(後に大和家)に宮守になりました。また北御旅所では秦助正を祖とする大和家が宮仕になりました。

【秦助正 祇園祭】
秦助正は生没年不詳です。また経歴なども不詳です。秦助正は秦氏の末裔とも言われる有力者(長者)です。秦助正を祖とする大和家は戦国時代(室町時代後期)1536年(天文5年)頃から1872年(明治5年)まで祇園社御旅所(北御旅所(大政所))を管理する宮仕職を務めました。また大和家は1867年(慶応3年)から短期間だが祇園社御旅所(南御旅所(少将井))を管理する宮守職も務めました。ちなみに大和家には30点以上の古文書が伝わっています。その後大和家は1876年(明治9年)に京都府から錦天満宮(にしきてんまんぐう)の祠掌を命じられ、 宮司職を世襲しています。なお錦天満宮では例年7月17日の神幸祭・7月24日の還幸祭の前に西御座神輿の渡御の安全を祈願する錦神輿会安全祈願祭が行われています。

【祇園祭と秦助正(はたのすけまさ)・大政所御旅所 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
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