毘沙門堂初寅大祭2025年1月8日~10日(日程時間・・・)
毘沙門堂初寅大祭
毘沙門堂初寅大祭(日程・時間・・・)を紹介しています。初寅大祭は毎年最初の寅の日とその前日・後日に行われています。初寅大祭では護摩祈願(護摩供)が行われ、五穀豊穣・商売繁盛・家内安全などを祈願します。なお初寅大祭は毘沙門天が寅の年の寅の日の寅の刻に出現したという縁日に由来しています。寅は毘沙門天のお使いと言われています。(詳細下記参照)
【毘沙門堂初寅大祭2025 日程時間(要確認)】
毘沙門堂初寅大祭2025は2025年(令和7年)1月8日(水曜日)~10日(木曜日)に行われます。過去のタイムテーブルは初日11:00・14:00から護摩祈願、中日11:00から三壇修法供、中日14:00から護摩祈願、最終日11:00・14:00から護摩祈願が行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・毘沙門堂ホームページ
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【毘沙門堂初寅大祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市山科区安朱稲荷山町18
最寄り駅・バス停・・・山科駅(徒歩約20分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からはJR東海道本線
*地下鉄東西線の場合、最寄り駅は山科駅(徒歩約20分)
【毘沙門堂初寅大祭 歴史・簡単概要】
毘沙門堂初寅大祭(はつとらたいさい)・初寅会(はつとらえ)は毘沙門天(びしゃもんてん)が寅の年の寅の月の寅の日の寅の刻に出現したという縁日に由来しています。なお寅は毘沙門天のお使い(神使(しんし))と言われています。
初寅大祭では護摩祈願(護摩供(ごまく))が行われ、五穀豊穣(ごこくほうじょう)・商売繁盛・家内安全などを祈願します。なお初寅大祭では魔除けの寅の福笹の授与や甘酒の接待も行われます。(要確認)
護摩はバラモン教の宗教儀礼が起源とされ、主に天台宗・真言宗で行われています。護摩には護摩壇に火を点けて護摩木を焚いて祈願する外護摩と心の中の煩悩などを心の火で焼き払う内護摩などがあるそうです。
毘沙門天は方滅天・伍代天・三納天とともに四天王の一尊に数えられる北方守護の武神で、多聞天(たもんてん)とも言われています。また毘沙門天は室町時代から恵比寿・大黒天・弁財天・寿老人・福禄寿・布袋とともに七福神の一神に数えられ、招福と勝負の神とされています。なお日本では寅の年の寅の月の寅の日の寅の刻に鞍馬山に出現されたとされ、鞍馬寺が毘沙門信仰の発祥の地とされているそうです。
毘沙門堂の本尊・毘沙門天は天台宗の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄が延暦寺(世界遺産)・根本中堂(国宝)の本尊・薬師如来の余材を使って自ら刻んだと言われています。ちなみに毘沙門天は京の七福神に数えられ、商売繁盛・家内安全にご利益があるとも言われています。なお毘沙門堂の名称は毘沙門天を安置していることに由来しています。
【毘沙門堂 歴史・簡単概要】
毘沙門堂(びしゃもんどう)・毘沙門堂門跡は寺伝によると703年(大宝3年)に僧・行基(ぎょうき・ぎょうぎ)が第42代・文武天皇の勅願により、護法山出雲寺を上京区出雲路に創建したのが起源と言われています。その後794年(延暦13年)の平安京遷都後の795年(延暦14年)に第50代・桓武天皇が行幸し、天台宗の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄が自ら刻んだ毘沙門天を奉献したと言われています。1160年(平治元年)の平治の乱で焼失して荒廃したが、鎌倉時代初期に平親範(たいらのちかのり)が平家ゆかりの3つの寺院(平等寺・尊重寺・護法寺)を合寺して再興しました。その後度々移ったり、応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火などによって焼失したりしました。1665年(寛文5年)に天海大僧正(てんかいだいそうじょう)とその弟子・公海大僧正(こうかいだいそうじょう)が現在の場所に再興し、その後第111代・後西天皇の皇子・公弁法親王(こうべんほっしんのう)が入寺して門跡寺院になりました。なお本尊である毘沙門天は伝教大師・最澄が比叡山延暦寺・根本中堂の本尊・薬師如来の余材を自ら刻んだと言われています。
毘沙門堂は天台宗の寺院です。
*参考・・・毘沙門堂(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【毘沙門堂初寅大祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
毘沙門堂(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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