三十三間堂初午祭(日程・時間・・・)
三十三間堂初午祭
三十三間堂初午祭(日程・時間・・・)を紹介しています。初午祭は例年2月11日に行われます。初午祭(古札供養)では古いお札・お守りなどを焚き上げて供養したり、信者などの願いが込められた護摩木を焚き上げ、商売繁盛や家内安全などの祈願成就を願ったりします。(詳細下記参照)
【三十三間堂初午祭2016 日程時間(要確認)】
三十三間堂初午祭2016は2016年2月11日(日曜日)14:00~15:00まで行われます。
【三十三間堂初午祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区三十三間堂廻町657
最寄り駅・バス停・・・博物館・三十三間堂前(徒歩すぐ)、東山七条(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から三十三間堂は100系統(D1乗り場)、110系統(D1乗り場)、206系統(D2乗り場)、208系統(D2乗り場)
*四条河原町からは207系統
*四条烏丸からは207系統
*河原町丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は七条駅(徒歩約5分)
【三十三間堂初午祭 歴史・簡単概要】
三十三間堂初午祭(はつうまさい)・古札供養では古いお札・お守りなどを焚き上げて供養する火の儀式・護摩(ごま)が行われます。護摩では古いお札などを燃やすだけでなく、信者などの願いが込められた護摩木を三十三間堂近くに設けられた護摩壇で山伏が焚き上げ、商売繁盛や家内安全などの祈願成就を願います。なお三十三間堂の鎮守社・久勢稲荷大明神では例年11月に初午祭と同様にお火焚き(古札供養)が行われ、古いお札や護摩木を焚き上げ、供養と祈願成就を願っています。ちなみに久勢稲荷大明神は三十三間堂の南西にあります。
初午は2月の最初の午の日のことを言ったり、旧暦の最初の午の日のことを言ったりします。初午は伏見稲荷大社などの稲荷社で祭礼が行われることが多いそうです。ちなみに最初の午の日以降は二の午(にのうま)・三の午(さんのうま)などと言うそうです。
●三十三間堂の歴史(創建から現在)を紹介しています。
三十三間堂歴史(後白河天皇・後嵯峨天皇)
●三十三間堂の見どころ(蓮華王院本堂・千手観音など)を紹介しています。
三十三間堂見どころ(蓮華王院本堂・千手観音など)
【三十三間堂 歴史・簡単概要】
三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)・蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)は平安時代の988年(永延2年)に太政大臣・藤原為光(ふじわらのためみつ)が造営した私邸があった場所とも言われています。その後989年(永祚元年)に為光が妻と第65代・花山天皇の女御だった娘の菩提を弔う為に法住寺(ほうじゅうじ)を創建したが、1032年(長元5年)の火災によって焼失しました。1161年(永暦2年)に後白河上皇(第77代・後白河天皇)が法住寺跡に離宮・法住寺殿(ほうじゅうじどの)を営み、三十三間堂は1165年(長寛2年)に後白河上皇が平清盛(たいらのきよもり)に資材協力を命じ、離宮・法住寺殿の一画に創建されたのが起源です。ただ1249年(建長元年)に焼失し、1266年(文永3年)に後嵯峨上皇(第88代・後嵯峨天皇)が本堂(三十三間堂)のみを再建しました。その後室町幕府第6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)が修復し、関白・豊臣秀吉が東山大仏(方広寺)を建立した際、土塀や門などが整備されたと言われています。なお三十三間堂の名称は間面記法による表記「三十三間四面」に由来しています。三十三は観音に縁のある数字で、法華経などによると観音菩薩が三十三種の姿に変じ、衆生を救うと説かれています。
三十三間堂は天台宗・妙法院の境外仏堂です。
*参考・・・京都・三十三間堂(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ
【三十三間堂初午祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
京都・三十三間堂(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報