平安神宮・南禅寺桜散策コース(岡崎疏水・蹴上インクライン)

平安神宮・南禅寺桜散策コース
平安神宮・南禅寺桜散策コースは紅枝垂桜の名所である平安神宮と水路閣がある南禅寺周辺の桜名所を散策するコースです。平安神宮には作家・谷崎潤一郎が小説「細雪」の中で「紅の雲のよう」と讃えた紅枝垂桜が植えられています。南禅寺では桜に彩られた境内を三門の上から眺められます。平安神宮・南禅寺桜散策コース周辺には満足稲荷神社・岡崎疏水・蹴上インクライン・南禅院・永観堂などもあり、チャンスがあれば立ち寄りましょう。岡崎疏水・蹴上インクラインは隣接し、一緒にお花見を楽しむことができます。平安神宮では桜ライトアップ(紅しだれコンサート)を行うことがあります。音楽を聴きながらライトアップを楽します。
【平安神宮・南禅寺桜散策コース】
【桜の見頃(例年)】
●2025年2月13日、ウェザーニュースは桜の開花が平年並で京都で3月25日に開花すると予想しました。(順次情報更新中)
平安神宮・・・4月上旬頃
岡崎疏水・・・4月上旬頃
蹴上インクライン・・・3月下旬頃~4月上旬頃
南禅寺・・・4月上旬頃
永観堂・・・4月上旬頃
京都桜見ごろ2025(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)
【平安神宮(へいあんじんぐう) 概要】
平安神宮では紅枝垂桜・染井吉野など約300本の桜の木が分布し、平安の苑の紅枝垂桜や栖鳳池に映る紅枝垂桜などが見どころです。観桜茶会・紅しだれコンサートを行うことがあります。平安神宮は1895年(明治28年)に平安京遷都1,100年を記念して行われた内国勧業博覧会の目玉として、平安京遷都当時の宮城である大内裏の一部を復元し、桓武天皇を祀る神社として創建されました。当初、平安京大内裏があった千本丸太町に計画されたが、用地買収に失敗し、現在の場所に実物の8分の5の規模で復元されました。1895年(明治28年)に平安神宮の創建と平安遷都1,100年祭を盛大に奉祝する為に時代祭が始まり、1940年(昭和15年)に孝明天皇が祭神に加えられました。
平安神宮桜見ごろ・平安神宮紅しだれコンサート
【満足稲荷神社(まんぞくいなりじんじゃ) 概要】
満足稲荷神社は文禄年間に関白・豊臣秀吉が伏見城の守護神として、伏見稲荷大社の祭神を勧請したのが起源です。1693年(元禄6年)に江戸幕府5代将軍・徳川綱吉によって現在の場所に移され、法皇寺の鎮守社になりました。その後法皇寺は南禅寺に吸収されました。満足稲荷神社は豊臣秀吉に篤く崇敬され、豊臣秀吉が祭神のご加護にすこぶる「満足」したことから社名が満足稲荷神社になったと言われています。
満足稲荷神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【岡崎疏水(おかざきそすい) 概要】
岡崎疏水では両岸に染井吉野など約400本の桜の木が分布し、桜と疏水が見どころです。十石舟めぐりを行うことがあります。岡崎疏水は大津市三保ヶ崎の琵琶湖取水口から宇治川までを結ぶ延長約20キロの琵琶湖疏水(第1琵琶湖疏水)の一部です。岡崎疏水は南禅寺舟溜から夷川ダムまでの長さ約1.5キロを言います。なお琵琶湖疏水は京都近代化政策の一環として計画され、1885年(明治18年)に着工し、1894年(明治27年)に完成しました。琵琶湖疏水は当初、水運が目的だったが、その後水力発電の増強・水道の新設が主要な役割になり、現在は水道水の確保が重要な役割になっています。
岡崎疏水桜見ごろ・岡崎疏水十石舟めぐり
【蹴上インクライン(けあげいんくらいん) 概要】
蹴上インクラインではレールが施設された坂道に染井吉野約90本が分布し、桜並木とインクラインが見どころです。蹴上インクラインは琵琶湖疏水の中に設けられたインクライン(傾斜鉄道)2ヶ所の内の1ヶ所です。蹴上インクラインは傾斜がきつい南禅寺舟溜から蹴上舟溜を繋ぐ為に造られました。蹴上インクラインは長さ約581.8メートルで、世界最長のインクラインとも言われています。蹴上インクラインは1890年(明治23年)に完成し、1891年(明治24年)から1948年(昭和23年)まで使われたが、その後休止になりました。1960年(昭和35年)に電気設備、1973年(昭和48年)以降にレールも撤去されたが、1977年(昭和52年)にレールが復元され、1996年(平成8年)には国の史跡になりました。
蹴上インクライン桜見ごろ
【南禅院(なんぜんいん) 概要】
南禅院は鎌倉時代に造営された離宮・禅林寺殿の上の御所があった場所です。南禅院は1287年(弘安10年)に上の御所に持仏堂が建立され、1289年(正応2年)に亀山上皇が出家して法皇になり、大明国師・無関普門を開山として南禅院と号したのが起源と言われています。1291年(正応4年)に亀山法皇が大明国師・無関普門を開山として離宮・禅林寺殿を南禅寺に改め、南禅院は南禅寺発祥の地と言われています。その後火災や応仁の乱で荒廃したが、1703年(元禄16年)に江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院の寄進によって方丈が再建されました。
南禅院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【南禅寺(なんぜんじ) 概要】
南禅寺では染井吉野・山桜・八重桜など約100本の桜の木が分布し、桜と高さ約22メートルの三門・水路閣などが見どころです。方丈庭園も美しいと言われています。南禅寺は1264年(文永元年)に後嵯峨天皇が営んだ離宮・禅林寺殿があった場所です。南禅寺は1291年(正応4年)に亀山法皇が大明国師・無関普門を開山として離宮を寺院に改め、龍安山禅林禅寺と名付けたのが起源です。南禅寺は皇室発願の最初の禅寺になりました。その後1299年(永仁7年)頃に伽藍が整備され、正安年間に龍安山禅林禅寺から太平興国南禅禅寺に名称を改めました。南北朝時代以降に隆盛を極め、1334年(建武元年)に後醍醐天皇が五山の第一、1385年(元中2年・至徳2年)に足利義満が京都五山及び鎌倉五山の上の別格扱いの「五山之上」に列しました。
南禅寺桜見ごろ
【永観堂(えいかんどう) 概要】
永観堂では参道・多宝塔周辺などに染井吉野が分布し、桜と総門・多宝塔などが見どころです。永観堂は平安時代に藤原関雄の別荘・東山山荘があった場所です。永観堂は853年(仁寿3年)に弘法大師・空海の高弟・真紹僧都が京都における真言宗密教の実践道場の創建を志し、藤原関雄から寄進されとも、買い取ったとも言われる東山山荘に五智如来を安置したのが起源と言われています。863年(貞観5年)に清和天皇から鎮護国家の道場・定額寺として勅額を賜わり、禅林寺と名付けられました。承暦年間に中興の祖・永観律師が東南院を興して浄土念仏道場に改め、阿弥陀如来を本尊にしました。永観堂の名称は永観律師に由来しています。
永観堂桜見ごろ
【平安神宮・南禅寺桜散策コース 備考】
散策コースではグーグルマップを使用して、スポットを紹介しています。
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