東本願寺阿弥陀堂・東本願寺見所(修学旅行・観光)

東本願寺阿弥陀堂

●東本願寺阿弥陀堂は2019年(令和元年)9月30日に国の重要文化財に指定されました。
●東本願寺阿弥陀堂は1895年(明治28年)に再建されました。江戸時代初期の1602年(慶長7年)に真宗大谷派第12代門首・教如(きょうにょ)が江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)から寺地を寄進され、1603年(慶長8年)11月に建立されました。江戸時代前期の1667年(寛文7年)に規模拡大の為に再建が開始され、1670年(寛文10年)3月に落成したが、幕末(江戸時代後期)の1864年(元治元年)の禁門の変によるどんどん焼けによって焼失しました。1880年(明治13年)に再建が起工し、1895年(明治28年)に再建されました。2011年(平成23年)から修復工事が開始され、2015年(平成27年)12月に完了しました。修復工事では約10万8千枚の瓦が全て下され、屋根から土も除去されました。再利用の瓦を除いて、大部分の瓦が新調され、瓦をステンレス製のくぎで直接桟木(さんぎ)に固定する空ぶきにより、屋根の荷重が約400トン軽減されて耐震性が向上しました。屋根の葺き替えでは平瓦の裏側に寄進者の名前が印刷されました。
一般的に阿弥陀堂は阿弥陀如来を本尊として安置する堂塔です。奈良時代に奈良・東大寺(とうだいじ)阿弥陀堂や法華寺(ほっけじ)浄土院が建立され、阿弥陀悔過(けか)などの法要が行われました。平安時代中期から貴族に浄土信仰の広まり、極楽浄土を現前させたい願望から多く建立されました。京都府宇治市の平等院(びょうどういん)鳳凰堂(国宝)・京都府木津川市の浄瑠璃寺(じょうるりじ)本堂(国宝)・岩手県平泉町の中尊寺(ちゅうそんじ)金色堂(国宝)などが知られています。
●東本願寺阿弥陀堂は内陣の本間に本尊・阿弥陀如来立像を安置しています。
阿弥陀如来は大乗仏教の如来のひとつで、西方の極楽浄土(ごくらくじょうど)の教主とされています。阿弥陀如来は弥陀仏(阿弥陀佛)・無量光仏(むりょうこうぶつ)・無量寿仏(むりょうじゅぶつ)とも言われています。阿弥陀如来は生あるものを全てを救う如来とされています。阿弥陀如来は紀元100年頃に編纂された大乗仏教の経典「無量寿経(むりょうじゅきょう)」によると世自在王仏(せじざいおうぶつ)のもとで出家して修行していた時、法蔵比丘(ほうぞうびく)という菩薩(法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ))であったが、48の誓願(四十八願 (しじゅうはちがん))を立てて修行して仏になり、仏国土である極楽浄土(ごくらくじょうど)を設立して現在もそこで説法しているとされています。阿弥陀如来は飛鳥時代(7世紀前半)に日本に伝わり、平安時代中期以降に隆盛して阿弥陀如来像が造仏され、鎌倉時代に念仏によって極楽浄土に往生できるという阿弥陀信仰が盛んになり、法然上人(ほうねんしょうにん)を宗祖とする浄土宗(じょうどしゅう)・親鸞聖人(しんらんしょうにん)を宗祖とする浄土真宗(じょうどしんしゅう)・一遍上人(いっぺんしょうにん)を宗祖とするを時宗が成立しました。
●東本願寺阿弥陀堂は南北約52メートル・東西約47メートル・高さ約29メートルで、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
東本願寺見どころ

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