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東本願寺御影堂・東本願寺見所(修学旅行・観光)
東本願寺御影堂
●東本願寺御影堂は2019年(令和元年)9月30日に国の重要文化財に指定されました。
●東本願寺御影堂は1895年(明治28年)に再建されました。江戸時代初期の1602年(慶長7年)に真宗大谷派第12代門首・教如(きょうにょ)が江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)から寺地を寄進され、1604年(慶長9年)9月に建立されました。江戸時代前期の1652年(承応元年)に規模拡大の為に再建が開始され、1658年(明暦4年)に落成したが、幕末(江戸時代後期)の1864年(元治元年)の禁門の変によるどんどん焼けによって焼失しました。1880年(明治13年)に再建が起工し、1895年(明治28年)に再建されました。2004年(平成16年)3月から修復工事が開始され、2008年(平成20年)12月に完了しました。ちなみに2006年(平成18年)12月に屋根の葺き替えが開始され、2008年(平成20年)5月に瓦葺き納め式が行われました。屋根の葺き替えでは傷んだ瓦に代わる12万枚の瓦が新調され、平瓦約5万枚の裏側に寄進者の名前が印刷されました。なお御影堂は1876年(明治9年)に親鸞聖人が第122代・明治天皇から諡号・見真大師を賜ったことから大師堂と言われていたが、1981年(昭和56年)に宗憲が改正され、御影堂に名称が改められました。
一般的に御影堂は寺院の開基(かいき)・開山(かいさん)や宗祖の像を安置した堂塔です。御影堂は奈良時代頃から開山の没後に敬慕の心を込めて建立されるようになりました。御影堂は祖師堂(そしどう)・開山堂などとも言われています。
●東本願寺御影堂は内陣の本間に御真影(宗祖・親鸞聖人の坐像)を安置しています。
親鸞聖人は平安時代後期の1173年(承安3年)5月21日に皇太后宮大進(たいごうぐうしょく)・日野有範(ひのありのり)と吉光女(きっこうにょ)の長男として生まれました。1181年(治承5年)9歳で叔父・日野範綱(ひののりつな)に伴われて天台三門跡・青蓮院(しょうれんいん)に入り、その後天台座主・慈円(じえん・慈鎮(じちん))のもとで得度し、範宴(はんねん)と称しました。出家後に比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)で20年間修行を続け、天台宗(たんだいしゅう)を学びました。1201年(建仁元年)に聖徳太子(しょうとくたいし)創建とされる六角堂(ろっかくどう)に百日参籠し、夢告に従って浄土宗(じょうどしゅう)の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)の門弟になり、浄土教を学びました。法然上人から綽空(しゃっくう)の名を与えられ、その後法然上人の許しを得て恵信尼(えしんに)と結婚したとも言われています。1207年(建永2年)に後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇)の怒りに触れる承元の法難(じょうげんのほうなん)に連座し、専修念仏が停止され、法然上人と親鸞聖人を含む7名の弟子が流罪になりました。越後に配流され、1211年(建暦元年)11月に勅赦なったが、1212年(建暦2年)1月に法然上人が亡くなると京都に戻らず、信濃(しなの)・下野(しもつけ)・常陸(ひたち)などの約20年間に渡って東国布教を努め、常陸稲田で4年の歳月を掛けて浄土真宗の教義を体系化した「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」を著しました。60歳で帰洛の途につき、62歳頃に帰京し、京都で転々と住居を移して教化と著述に努めました。なお親鸞聖人は1263年(弘長3年)に90歳で亡くなりました。
●東本願寺御影堂は南北約76メートル・東西約58メートル・高さ約38メートルで、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。御影堂には新潟県の一級河川・阿賀野川(あがのがわ)の川底から引き上げられた長さ約14.5メートル・幅1メートル以上の欅(けやき)の大木が大虹梁(だいこうりょう)に使われています。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
東本願寺見どころ