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東本願寺御影堂門・東本願寺見所(修学旅行・観光)
東本願寺御影堂門
●東本願寺御影堂門は2019年(令和元年)9月30日に国の重要文化財に指定されました。
●東本願寺御影堂門は1911年(明治44年)に再建されました。江戸時代初期の1602年(慶長7年)に真宗大谷派第12代門首・教如(きょうにょ)が江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)から寺地を寄進され、1604年(慶長9年)9月に御影堂が建立され、その後御影堂門も建立されたとも言われています。幕末(江戸時代後期)の1864年(元治元年)の禁門の変によるどんどん焼けによって焼失し、1911年(明治44年)に再建されました。2013年(平成25年)1月から修復工事が開始され、2015年(平成27年)12月に完了しました。ちなみに御影堂門中央の六角菱灯籠も修復され、金箔押しによって美しも戻りました。なお御影堂門には上層に釈迦如来坐像を中心に弥勒菩薩(みろくぼさつ)立像・阿難尊者(あなんそんじゃ)立像を安置しています。
お釈迦さま(釈迦牟尼 ゴータマ・シッダッタ)は仏教の開祖で、世界四聖の一人です。ちなみに仏陀とは悟った者・目覚めた者を意味するお釈迦様の尊称です。お釈迦さまは約2,500年前の旧暦の4月8日、インド国境に近いネパールのルンビニーの花園で、父・シャカ族の国王である浄飯王(じょうばんのう・シュッドーダナ)と母・摩耶夫人(まやふじん・マーヤー)との間に生まれました。お釈迦さまは生まれてすぐに7歩歩き、右手で天、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と唱えたとも言われています。29歳で出家し、35歳の旧暦の12月8日の夜明け前、明星出現と同時にブッダガヤの菩提樹の下で、悪魔の誘惑に負けずに悟りを開きました。その後約45年間に渡り、インド各地を回って教えを説き、クシナーラで亡くなりました。お釈迦さまの遺骸は火葬され、遺骨は各地のストゥーパに分けて祀られたそうです。
弥勒菩薩は菩提(悟り)を求める菩薩の一尊です。弥勒菩薩は兜率天(とそつてん)の内院に住み、現在仏である釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の次に悟りの最高の位である仏陀(ぶつだ)になることが約束され、釈迦(しゃか)入滅から56億7,000万年(5億7,600万年)後の未来に仏陀となってこの世に下り、衆生を救済すると言われる菩薩です。天界での修行中を弥勒菩薩、未来仏は弥勒如来(弥勒仏)とも称します。
阿難尊者はお釈迦さまの十大弟子の一人で、お釈迦さまの侍者として25年間仕え、常に説法を聴いて全て記憶したことから多聞第一(たもんだいいち)と称せられました。阿難尊者はお釈迦さまの従弟(いとこ)とも言われています。
●東本願寺御影堂門は南北約20.6メートル・東西約13メートル・高さ約26.8メートルの三間三戸の二階二重門で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
東本願寺見どころ