東本願寺の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

東本願寺(Higashi-Hongan-ji Temple)

東本願寺の歴史を時代別年表にまとめ

東本願寺の歴史を簡単にまとめています。東本願寺は1602年(慶長7年)に本願寺11世・顕如の長男で、豊臣秀吉の命で隠居させられた教如が江戸幕府初代将軍・徳川家康から寺地を寄進され、東本願寺を建立したのが起源です。(時代別年表・重要人物下記参照)

東本願寺見どころ

【親鸞聖人・六角の廟堂】

  • 鎌倉時代後期の1263年(弘長2年)に浄土真宗(じょうどしんしゅう)の宗祖・親鸞聖人(しんらんしょうにん)が90歳で亡くなり、遺骨は京都東山の鳥辺野(とりべの)の北、大谷(元大谷(もとおおたに))に建てられた石塔に納められました。
  • 1272年(文永9年)に親鸞聖人の末娘・覚信尼(かくしんに)が自ら寄進した大谷の西、吉水(よしみず)の北の土地に六角の廟堂(びょうどう)を建立して親鸞聖人の影像を安置し、大谷の石塔に納められていた親鸞聖人の遺骨を改葬したのが本願寺の起源です。1274年(文永11年)に覚信尼が廟堂の守護をする初代留守職(るすしき)になり、留守職は覚信尼の子孫が就任することになりました。
  • 1321年(元亨元年)に延暦寺(えんりゃくじ)の抗議により、寺号を専修寺(せんじゅじ)から本願寺に改めました。
  • 南北朝時代の1336年(延元元年・建武3年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)の兵火によって焼失しました。
  • 室町時代中期の1465年(寛正6年)に寛正の法難( かんしょうのほうなん)により、延暦寺の衆徒によって破却されました。
  • 1478年(文明10年)に山科に山科本願寺が建立されました。
  • 戦国時代(室町時代後期)の1496年(明応5年)に大坂石山に石山本願寺が建立されました。
  • 1532年(天文元年)に六角定頼(ろっかくさだより)らによって山科本願寺が焼き払われ、翌1533年(天文2年)から寺基を石山本願寺に移しました。
  • 1570年(元亀元年)に織田信長(おだのぶなが)から石山本願寺の退去を命じられ、石山合戦(いしやまかっせん)が勃発しました。1580年(天正8年)に織田信長と和議を結んだが、その後石山本願寺は焼失しました。なお石山合戦の最中に本願寺11世・顕如(けんにょ)と長男・教如(きょうにょ)が対立し、教如が石山本願寺に籠城したことから義絶されたが、1582年(天正10年)に義絶が解かれました。
  • 桃山時代の1582年(天正10年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)から大坂天満の土地を寄進されて移りました。
  • 1591年(天正19年)に豊臣秀吉から更に京都堀川六条の土地を寄進されて移りました。
  • 1592年(天正20年)に本願寺11世・顕如が亡くなると長男・教如が継承したが、関白・豊臣秀吉によって退隠させられ、弟・准如(じゅんにょ)が本願寺12世を継承しました。

【東本願寺の起源・始まり】

  • 東本願寺は江戸時代初期の1602年(慶長7年)に豊臣秀吉の命で隠居させられていた教如が江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)から寺地(烏丸六条)を寄進され、西本願寺東側に創建し、本願寺が東西に分立することになりました。東本願寺では教如を「東本願寺創立の上人」としています。
  • 1603年(慶長8年)に教如が親鸞聖人自作と言われる親鸞上人木像を上野国厩橋(群馬県前橋市)の妙安寺から迎え、同年に阿弥陀堂が建立され、1604年(慶長9年)に御影堂が建立されました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

  • 1788年(天明8年)に天明の大火によって御影堂・阿弥陀堂が焼失しました。1798年(寛政10年)に幕府から用材を寄進され、御影堂・阿弥陀堂が再建されました。
  • 1823年(文政6年)に境内からの出火によって御影堂・阿弥陀堂が焼失しました。1835年(天保6年)に御影堂・阿弥陀堂が再建されました。
  • 1858年(安政5年)に安政の大火によって御影堂・阿弥陀堂が焼失しました。1860年(万延元年)に仮堂の御影堂・阿弥陀堂が再建されました。
  • 1864年(元治元年)に禁門の変(蛤御門の戦い)によって御影堂・阿弥陀堂が焼失しました。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

  • 1880年(明治13年)に御影堂・阿弥陀堂の再建が着工され、1895年(明治28年)に完成しました。
  • 2003年(平成15年)に御影堂の修復が開始され、2010年(平成22年)に完了しました。
  • 2012年(平成24年)に阿弥陀堂の修復が開始され、2015年(平成27年)に完了しました。

【東本願寺の開基とされる教如】

教如は1558年(永禄元年)に本願寺11世・顕如の長男として生まれました。1570年(永禄13年)に父・顕如のもとで得度しました。1570年(元亀元年)に織田信長と石山合戦が始まると父・顕如を助け、石山本願寺に立て籠りました。1580年(天正8年)に父・顕如が大坂本願寺から紀伊国鷺森御坊(和歌山県和歌山市)に退去したが、その後も大坂本願寺に籠城したが、織田信長に大坂本願寺を明け渡し、大坂本願寺が焼失しました。その後宗主の地位を巡って父・顕如と対立し、東海・北陸を転々しました。1592年(天正20年)に父・顕如が亡くなると本願寺を継承したが、関白・豊臣秀吉によって退隠させられ、弟・准如が本願寺12世を継承しました。なお教如は1614年(慶長19年)に亡くなりました。

【東本願寺 備考】
*参考・・・京都・東本願寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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